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「中高生のときやりたかったブログを今やる」

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最悪なのは自分の精神状態なのかそれとも過去の真実なのか。自責をしたところで仕方がなくて具体的な方法を考えるほうが効果があるというのはさっき読んだ文章から学んだことだが、気付いていなかったとしたら手の打ちようもないし、忘れてしまっても同様だから、定期的につきつけないといけないのは確か。

認めたくない怖さなのか現実的な怖さなのか。

 

なんだか意味のないことを言っているような気がしてきてたので中断する。適当な構文で書くことによって、思考が成立しているような錯覚を味わっているだけじゃないのか?

 

(こうも自分の感覚を疑うのは、さっき全然人でないものが随分と長い時間人に見えてしまうという体験をしたからだ。)

 

本当のところ、その人が文を生成した意味なんて読み取れるはずもないし、全部の思考自体そういうものなんじゃないか。

自分の足りない知能の構造とその欠陥を考えていくうちになんだか頭が狂ってきている感がある。自分が何であるかわからない。当たり前のことだ。しかし時系列的にいうとその思考よりも先に、この事象は構造的な欠陥じゃないかという感想がきた。それは「欠陥じゃないかとキレそうになった」とか書くと面白いと思ったからだと思う。この場合どのような順序で思考が行われたのかどんな論理なのか。考えるのはやめておこう、面倒だしそこまでは時間無い。こうして重要なものが取り残されていく。現在に至る。

 

なるほど、根源から病理を理解するより、大きな紙の中心に「生存」とか「打開」とか書いて360度展開していくことだけが「生存」や「打開」の方法なんだと思う。しかしそれも、もとは「生存」とかから伸びてる枝の末端だったと思うんだけどな。

 

おそらく遠すぎて見えなくなった時点で消滅するんだ。部屋の奥底と同じように。

 

なんとなく可視化できる程度の思考構造を認識して、それで戦っていくしかないんだ。能力や評価も数値化されたものを指標に自己を定義するしかない。言葉や声色や表情なども指標として主流なんだろうと思うけど、どうもうまくマッピングできている気がしないし、センサ部にもどうも信用がおけない。

 

中断

 

学校とバイトはそれなりで乗り切った。バク転の練習は、公園に若者がたむろしていたので断念した。ネットで曲を漁った。

・・・

自分はある状態なんじゃないかとずっと思っていた。同じ状態の人が書いていることを読むと非常にしっくりくる。それを認めることでなんとなく気持ちが落ち着いた。認めることでちゃんと対策を講じたり、なんとなくではなく諦めたりできるなら、いいことじゃないかというのが今の考え。

回転

公園でバク転の練習でもしてみようかと前から思っていたので、ランニングのついでに寄った。人目がないかを確認し、とりあえず手頃な側転をしてみることにした。芝生がところどころ薄く、硬い地面がむき出しになっていたので、手をつく場所を考えないと手が激しく傷付く。なんとなく躍動感は薄い感じがしたが、まあできた。次にハンドスプリングをやってみることにした。これは逆立ちするように前に手をついて、そのまま身体を反らし足で着地するというもの。失敗すれば背中を強打してしまうので、なかなか勇気が出なかった。まずは寝転がった状態から脚を上げ、身体を反らし起き上がるという動作をやってみた。できないでもないが、ひどく不恰好な気がした。いい歳した人間が夜の公園で一人何をやっているんだという気持ちがより強くなる。人がいないか気にしつつ、手をつくのに適切な場所を探しつつうろうろした。手を前に出してみると案外簡単に、前についた。何か気持ちの作用によって途中で止まったりするのではないかと思ったが、そのまま行った。手をつき、身体を反らす。なんとか足をつくことができたが、かなり違和感があった。身体の反りが急すぎる気がする。本来はそこまで反らす必要がないのだ。数回やって同じような結果になり、助走が足りないのだと気付いた。おそらく側転の違和感も同じものだと思った。ある程度速度を上げ慣性を大きくすることで、手をついた後に美しい軌道で回転しつつ、前方へ移動することができるので、あまり身体を反らさずとも足をつくことができる。まずは側転からやってみると、推測は正しかったことが分かった。ハンドスプリングも成功。爽快感があった。しかしまだ人に見せるものではない気がする。人に見せようと思っていたのか?着地の際の脚が揃っていないことと、伸びていないのが気になった。原因はわからないまま、なんとなく人目が気になったのか、帰った。

がんばりんぐ

朝起きて授業に出る。理解度は低い。授業の課題や雑務をやった後、バイト。どうも本調子でなかった。帰る。新しい方法で帰って、少しだけ心が動いた。

なんだか知らないが憂鬱だ。思うように進んでおらず、信頼を失っていっている感じがするからかもしれない。できるなら、普通に信頼されて存在していたい。ただ存在しているだけでかまわないようにも思うのだが、そうするとだんだんと身体が動かなくなってくる。

今は身体を動かさないと、生活が維持できない。それは多分わかっていて、この数週間動かしてきている。まだ失ってない。

ふいに命を失いそうになるが、この状況で失うというのがあまりにもみっともないので認められず、避ける。そういうのはない。吸い込まれることもない。狂うことも同様にない気がする。

・・・

もう少しだけ元気になろう。いい加減やめにしたいとは思うけど、まだ、多少寝なくても俺は頑張れる。全て終わったらまた会おう。

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引きこもり、精神疾患発達障害...。そういうレンジの話だ。そういうレンジにいる場合、それは基本的に最低限のところを常に目指している。その先のプラスアルファの話題になんて、興味を持っている余裕はない。人生は果たしてどっちが正しいんだろう。もしかしたら、置かれている状況なんて関係なく、自分がプラスアルファだと思っているものは普遍的な価値で、常に何があっても追い求めるべきなのかもしれない。そういうずれを抱えているかもしれない。

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昨日の続き。朝、怒鳴り声を聞くともうすっかり元気をなくしてしまう。俺が弱いからだ。学校行って、なんとなくやりすごす。準備してきたスライドは使わなかった。あとは何かに期待しながら何かに裏切られつつ、かろうじて作業を進めた。会話に耳を傾けていたのだ。帰ってきたら当人は治っているふうで、けれど俺はそれが何なのかわからない。朝のものが本当なのか今のものが本当なのか。そのときどきで両方本物だから、俺はついていけないのだと思う。

今なぜこんなに塞いだ気分なのか、もうわからない。最近は気付いたらここにいる。マイナスに吸い寄せられる。