raingoesup

「」

白木

思考が安定しない。次の瞬間には全く違う考えになっているのかもしれないけれど、全く予測できない。連続に生きられない。

努力と意思決定が結びつかない。何のためにこんなことをやってきた。

考えがまとまらない。考え続けることで次のフェーズへ行くということがあってほしいのだけれどそれはなくて、あらかじめ決まっている思考の中でエネルギー的に安定な場所を探して、それも一時的なものなのだけれど、無理矢理そこに置きに行くというような営みにしかならない。

 

・・・

何かの刺激になればと思って、最近新しく建て替えられた地元の図書館へ行った。綺麗な建物で座る場所が充実していて、自習スペースもある。50席あったけれど、当然のように満席になっていた。勉強している子供たちを羨ましく思った。創造性が芽吹きそうだよ。色んな意味で浅ましいと思う思考だ。

行く前から何らかの力により行く気力をそがれていたが、行ってみてやっぱりその原因となる予想に近しいことは起こった。

・・・

 

土日で考えを醸成させるなり、しっかり休むなりしようと思っていたが、その達成度はどうなのか。今でも胃は重いが、金曜時点よりはまし。考えは概ね先述の通りだが、真面目に考えて少しだけ発展した部分もある。社会に触れることも虚空で考えて、よくわからない方向に発散してしまった部分もあるが。これらは広がりと言えるんだろうか。

少なくとも何らかの違う思考パターン、ではないかもしれないけれど、着目する位相に変化がみられたような感じではある。今日は書く段になって少しだけポジティブよりにシフトさせていますが、そこまで無理な力で変形させているというのではありません。これが位相の話で、解釈の違いということをもう一つ付け加えておけば、概ねその変化を、可逆再現性は無いにしろ、理解・記録できると考えられる。話の順番が無茶苦茶だと思ったが、無茶苦茶ついでに突拍子もない遊びを加えた。よかったですね。

スッ軽

考えがいつも一歩遅れている。

一個目の問題については朝のうちになんとかけりをつけて、今もそれなりに振り切れていると思っている。いや、確かに残ってしまっている部分はあるのだけれど、思考をシフトさせていけばいずれ風化してくれると思うので、なるべくそれを早めるべく、やっぱり忘れるべきなんだと思う。

大きな声を出して、ついでに本屋に寄った。足は自然に精神医学の棚に向く。並ぶタイトルにいまいちピンとこないから、抱えているものはやっぱり自己啓発なのかと思ってそっちも見る。それっぽい本を見つけたけれど、一通りざっと眺めて解決しないだろうと思い地面に叩きつけて去る。(精神的な表現です。)結局、精神医学周りの本を2冊買って帰った。実践もする。ほんの少し安定に向かっている気がする。

胃を削るのは本当よくない。一定期間での負荷をあるラインに収めるべきという指標はあって、それは「軸」と同等に大切にされるべき価値なんじゃないか。と思っているのは保護装置のはたらきか。まあ、よくないのは事実でしょう。はげそうだし。

 

状態は動いている。あまり気にしていなかった問題に追い立てられたり、誤魔化しで保留して安寧を得ていた件が復活したり、予想とは違う形で期待を裏切られたり。

油断すると心がつぶれそうになる。油断していない状態というのは、気を張り詰めているというイメージだけれど、そうでもなく、すべてを理解して無駄な緊張をほどいた状態というのが正しい。なぜなら気を張ることが心がつぶれる主要な要因だから。まあ、ゆるゆるになったはずみで失敗するというのが、きっかけであったりもするんですけれどね。適度な緊張感がわからない。自分のニュートラルポジションが。

何に希望を見出せばいいのか。ある方向性に期待しすぎなのか。諦めたら、期待しなさすぎなのか。どうでもいいけれどどうでもよくない。すべてが間違って形成された場で、どうやって正しさを見出せばいいんだろう。考える時間はもうない。

褶曲

睡眠不足、過眠、ドブなどにより断絶が生じる。ある程度構築していた「調子」みたいなものがなくなる。0からのスタート、記憶としてはあるのに届かない気持ちからはむしろマイナスから、という風にすら感じる。文章書いてる主体も全然異なる。

そういう断絶数回前に作ったパワポは、結構よくない。言葉だけはかろうじて残っているけれど、ロジックのリズムに全然乗れてないから、聞いてるほうはわかりにくいだろうなと思う。前回は夜行バスで帰ってきた翌日にもかかわらず上手くいっていた、その記憶が横たわっていても今はなんだか憎たらしいという気持ちが大きい。

自分を忘れても、また新しく良いと思えるものを作って、楽しんでやっていきたい。

夏の扉

狂った夢を連続して見たりしていたが概ね健康で、今日は服を買いに行った。

京都駅の屋上が以前から気になっていたけれど、時間切れで帰った。もしかしたら人と行く機会があるかもしれないからそのときに、などと柄にもなく思って事なきを得た。

久々にドブには捨ててない休日。まあドブと大差ない環境にはあるのかもしれないけれど。0か1かでいうと1に分類されるから、自分にとってはそれだけで助かる。

うまいことやってできるだけ楽しみたいですね、と変化する気候の中で思う。それは色んなことに怯んで弱気になってしまったり、ドブに捨てるべきでない時間をドブに捨てたりがない状態だと思う。後者については事後的な判断なので、無視することが推奨され、実質状態としては存在しない。何かおかしなことを言っているが、気にしない。このくらいのあっさりとした認識が必要だということは、書いていて見出された有意義なことだ。ほんとか?

くだらないことで悩んでいないか、都度都度自問することが大切だと思う。昨日のメールの一件なんて、ほんとに下らない。嫉妬せず、肯定し倒しておけばいいのだ。本手法により時間の浪費、無駄な精神の磨耗をある程度防ぐことができるはず。

明日は久々に面接がある。正直言って勝手を忘れてしまっている。元々つかんでいたのかは知らないが。普通の形式の面接、数の割合で言うとあまり上手くいってないからな。まあその結果は知らない。(知るかというような意味の知らない。)気負うことはないけれど、今日のうちに少しは練習しておきたい。

溝への黙祷

どうしようもない一日が半分確定していたところから外出して、スーパー入ってトイレ行って出て、本屋入って出て、自販機でピーチティー買って帰って、だらだらと過ごして、夜に自分でなく他人がやりたかったことを成し遂げたことを知らせるメールが届いたこととか、黙っていればいいのに、書いてしまう。溝は「どぶ」と読む。いつもの話。

大切にしたいものは何だろうか。詩情とか狂気とか、個人的にはそういうくだらないものを常に好きだと思っておくことが、人間的な深さを保つために必要なんじゃないかと思っている。一方で、常識的なスキルとか将来とか人間関係とかが不足しているためにステージを下げざるを得ない場面も多い。すまん。