raingoesup

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学校行く。授業の前に話しかけられ、無難に対応する。(笑)という雰囲気をとりあえず作り出すことが大切なんだと浮かんでいた。真実かは知らない。昼休み、昼飯を食う前に書類の発行をする。電話がかかってくる。飯を食べる。業務に行く。業務中はメール対応や履歴書の作成や企業研究。業務が終わった後、研究室に同期が戻ってくるまで待って、戻ってきたらコミュニケーションをとりつつテスト勉強などをした。泊まる組は皆で例のあれをやるという話になっており、そういう場に興味はあったが、近しい立場数人の流れがあったので帰った。そうするつもりだった。頭が痛かった。バスでイヤホンを取り出すとイヤーピースがなかった。隣の奴は場所をつめるつもりはなくて、背が低いくせに肩幅が異常に大きい僕は肩身の狭い思いをしながら、通路の人とそいつに挟まれて、頭が痛くて、イヤーピースがなくて。駅に着いて立ち上がると席にイヤーピース発見。あって良かったスパイラルドット。頭は痛かった。電車では少し上を向いて、虚空を見つめながら立つことで多少ましになった。虚空に人の顔がなくてよかったと思う。

まだ13じくらいだろうな、とその時点でもはや救いのないことを思いながら、時計を見たら15じを回っていた。今日は就活用の写真を撮りにいく予定だったから、もぞもぞと起きる。とてもからい(塩が強いという意味)焼きそばがあったから、焼きそばパンにして食べたが、5枚切りのものだったのでヘタを中心(ヘタは中心でなく外縁だが)に量感が猛威を振るってきて、食後は粉になってしまった。身なりを整えスーツをきて自転車に乗る。金をおろす。写真屋に入るとおきゃく数人と店員数人がおり、少し待つと用件を伝える段になり、よくわからないまま10枚の就活応援パックに決まった。よくわからないというのは、はじめから自分はホームページでみたその10枚のパックぐらいだろうな、という見通しで来て、就活用の写真を、という感じで頼んだのだが、もう少し少ない枚数(覚えてない)でもう少し安い価格(覚えてない)で焼き増しもまた可能ですよ、というようなのでよろしいでしょうかと聞かれて、なぜ10枚のやつを勧められないのだろう、と思いながら10枚パックとかのはあるんですかと聞いたら、これになりますねこれにしましょうか、と決まったという具合である。具合が悪いのではないのだが、いつもだいたいこのくらいの立ち回りである。まだよくわかっていないのだが、とりあえず直近の要件はこなせそうなのでまあいいかと思っている。写真の出来はまあまあ。帰りに、行きとは違うルートで、新しくなった市立図書館を一目見て帰った。新しくてすごい。

学校行って授業。自分と教員の相性か、自分のその分野に対する理解が無いのか、話にいまいち乗ることができなかった。ビールの泡の役目は、とか言われたって、それは本当にそういう経緯で設計されたものなのか?あるからそうなったというだけじゃないのか?冷えている=美味しいというのが当然の前提というところも引っかかる。引っかかるだけなんだが、いつもより自然に入ってこない感じがして、調子が悪いのかもとかいう思いも割り込んできますよね。何の授業だと思いますか?

午後は研究室にいた。泊まった翌日、追い込みが終わった学部生と終わっていない学部生がおり、終わっていないほうをみんなで手伝うという空気だった。それなりに関わりはした。19時くらいに帰ったけれど、あれはもう少し残る空気だったのかな。

もう今年度も終わりで、今そういう体験があったほうが充実するとかいう判断をその場で下すものか。なんとなく19時くらいに帰ろうという前提は、明確な価値判断で覆されたら変わるのだが、なんとなくの雰囲気が自分の行動を変化させる重みが、人より小さい気がするよ。あまり自覚できるものでもないのだけど。いや、時間遅れが発生しているとみるべきか。後から何やら思うのだから。とにかく、十分にそこらへんが機能していないというのは、感じる。

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休日を溶かしてしまったけどそれはまあ良い。

そういえばもうすぐ24になってしまう。まあ良い。

 

やりたいことができれば良いし、できなくてもまあ良い。

最近は外乱も少なくて、そういう意味では幸せだし、必要以上に深追いしなくてもよいかという気分になってしまうんだろう。

何も無いけど。昔を思い出すとみじめになるけど、思い出さなければないのと同じ。管理できなかったものは消失したのと同じだという考えでものの整理を行っているが、それと同様にしていきたい。どのように?忘れた頃に甦った記憶は、その時点で捨てることなんてできないのだ。

けれど今誰も自分を責めてなんていない。と、このような言葉が出てくるくらいには、眠って回復したのだと思う。眉毛を整理した。髪を切りに行くことはできなかった。

自分を責めることはもうできない。中途半端に責めて失敗し過ぎたから、正常な学習により、その価値は低くなっている。

いびつな生き物である。外を出歩くのは恥ずかしい。死んだ目、歪んだ口元、整わない頭。たまに直そうとするけど直らなくて。頭も良くない。人と話せないくらいに。

何かを思うことは単なる数値処理だ。いかなる例外もまた、単に条件を付け足しているだけ。色付けされているように思えても、色々な要因によってその重みが大きくなっているだけなのだ。

この先、何かひらけることがあるのか?性格が閉塞している。無意識に、期待するのをやめている。結局動けないだけなのですが。

閉塞してるけれど、惰性と慣性で、曖昧な期間をはみ出していく。ひらけるならばまさしくそのときだという場面で、はみ出し程度で進んでいくので、急に止まるのではないかと心配になる。

人として軸がぶれている

メンタルを平熱に保つことが必要だと思う。思い込み、思いつめて、訳が分からなくなって最悪の選択に逃げて、明らかな後悔がやってくる。そういうのは嫌なんですよね。思いつめなければ、いかなる選択にも必要以上の悔恨を感じることはない、と。

本当に嫌なことって何。明らかにすべきか。無理か。