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「中高生のときやりたかったブログを今やる」

うまくできない

縛り付けるほうが多かったか。今日浴びていたのはもう知っていて飽きてしまったものだった。それには自分の失敗も含まれている。抱えなければこの種の失敗をすることもないというのは言い訳か。それに悩まされることに何の意味があるのか。

土日にやろうと思っていたことは6割くらいは片付いた。体調が悪かったこと、問題を抱えてしまったことを思えば仕方が無い。

明日は授業がある。今季は月曜の一限に一コマだけ。おそらく少人数であることが予想されていて、発言機会もあるかもしれないけれど、今までの内容を忘れていて困ることがないだろうかという不安が一つ。もう一つは、これも少人数であり、受講者に特定の条件が付されていることからメンバーもだいたい限られてくるということから来る、それが誰なのか、それとコミュニケーションとろうかという不安が一つ。

前者については今からでも遅くないから講義ノートを出してきて明日の授業開始までにぱらぱら眺めるだけでもある程度軽減されるように思う。後者については、あいさつをするような間柄の者がいれば適当にしておけばそれでいいという合格ラインを設けておく。が、話の内容はあんまり読めないし、進路についてはあまり答えようもなくて答えたくないという気持ちがある。身勝手な不安だ。

昔から決められないし行動の説明もままならないから、サイコパスになって適当に答える自分を許していかないと、リズムが保てない。そうする。

ばねを再現したいとき、ERPとCFMを使ったジョイントでは可動範囲が設定できないという問題があったが、あれは単に現在位置を取得して限界に達したとき反作用分の力を加えるというのをプログラム的に作ればいいだけじゃないのか。次会うときに話してみよう。

 

ラインをしないといけないものが3つばかりたまっているが、昨日今日は返すという意識もなかった。明日明後日に返そうと思っている。

 

明日はまた新しいことがある。それが自分の世界を広げる度合いと、同じ場所に括り付ける度合い、どちらが大きいのか。

何もわからな2

今日は比較的良い。朝家を出るときは悪かった頭の調子も、夕方ごろには回復していた。悪かった頭が消えると同時にいくつかの失敗を忘れた気もするが、気にはならない。もっと前から頭から離れていた本の返却についてはまだ余裕があった。たぶんこのあたりは大丈夫で、もっと考えるべきは大きなことなんだと思う。十代のころはすべて過ちであったから、何も取り戻せはしないにせよ、それを踏まえて過ちは少なくしたいのだけれど、考えられてもいないということは、十代のころと同じレベルでの失敗にまた戻っているということのように思う。

明日は研究中間発表。周りに流されて、多分その周りたちよりはおそらくましなものの、本当に納得できるところまで詰めるという一種の納得に至る過程を経てはいない。これも過ちの一つではあるのかもしれない。考える余裕は昨日の午後から増えたはずだけれど、そこから今の期間において、完成度を高めようという意識に至るまでの遷移はなされなかったということになる。

この話をきっかけに思い出したけれど、自分の理想を犠牲にして得た馴れ合いや、馴れ合いの結果くすんでいった意識に、僕はどう接してやればいいんだろう。今日も事務室で大きな声で喋っていることにひどく神経を疑うもののそれに対して何も言うでもなく、自分のほうへ話が飛んできたら適当なレベルの冗談を返すことに集中などしていた。今このときは、手の上に載せて眺めることはできているけれど、それを憎むべきか改めるべきか何もしないべきか。何が役に立つかなどわからないから、今役に立つものを選ぶ。それが今の自分の状態行動空間だったはずだ。そうか。どうしようか。

今の話だと何か周りの人間を見下してばかりいるようだが、実際は劣等感が多く含まれることによる心の動きだということは多少自覚もしている。存在しない誰かに断っておく。

朝から相当気分が沈んでしまっていた。顔が死んでいたと思う。今日は祝日だし誰にも会わないだろうからまあいいかと思ってそのまま学校へ向かったら、研究室には結構人がいた。えーと思いつつもそれなりにコミュニケーションをとれた。ポスターを練習で使うために、本来A1のものをA4の9枚に分割して印刷してちゃんと文字がつながるように余白を切って貼り合わせるというまあまあ無駄っぽい作業を集団でしていたら心が洗われた。はさみを持って図工のようだったので皆はワクワクさんの話をしていたけれど、これも多分そういうことなんだろ。

音楽の話が動き出した。もう少し格好良く復帰したいとかどうでもいいことも考えていたけれどそれはまあもう大分どうでもいいな。今度こそ本当にストイックにいく。ちょうど歌ってくれている通りの精神性があればできそうな気がする。今も一つリフコピーしよう。した。カポ位置わかったのでよい。昨日猫の歩容を切り出した際に覚えたyoutubeのコマ送りが役に立った。

何もわからない/

さっきから風呂で色々考えていたはずなのになにもわからないな。まあまた久々にオートマティスム的にするか。散らかった思考は散らかったまま、改行もせずにおくのがふさわしいと思う。書くという作業に意識がとられてしまうのはいただけないけれども、キーボードが以前と変わっていて勝手が違うということを書かずにはいられない。いま少し止まってしまったから、書こうと思っていたことを思い出そうとした。ここまで何も内容が無い。意思もそんなにないので言ったそばから改行する。

今の僕に一番差し迫ったタスクとしては研究の中間発表がある。他の研究室では何ヶ月も前から準備をするようだけれど、うちの研究室は基本的に緩くて、この中間発表においても、本番の3日前にできてるかのチェックがあるだけだった。いいのか?

基本的に昨年度の先輩のものを参考に構成を考えて、研究背景などはほとんどそのままでいいという方針。他の人はその昔のパワーポイントのデータをそのまま書き換えていくような作り方をしているっぽい。僕もまあ、はじめはそれに近い感じでやろうと思った。理由としては、基本的に研究室ごとにポスターのデザインは大まかに決まっているものだろうと思ったからだ。けれど、結局一から作り直すことにした。理由は、レイアウトがごちゃごちゃしていて古臭い感じがしたことに加えて、そのデザインに潜む設計者の意図を考える作業によって時間と色々な思考が阻害される気がしたからだ。まあしかし出来上がったものを見ると、それはシンプルさと流行のフラットデザインを素人目に意識した結果、なんだか貧弱で味気ないものだった。内容的にはそれほど変わりないと思うのだけれど、ごちゃごちゃしているほうが却って色々やっている感がでるというようなことか?単純にデザインが貧弱ということかもしれない。

デザインについてはこんなところだけれど、別に今から作り直そうというほどの不満足度ではない。それよりも内容でもう少しつめるべき部分があって、それが少し負荷を生んでいる。精神にです。明日学校へ行ってサーバにある論文を漁りつつ自分のデスクで落ち着いて考えれば、わかるかもしれない。不完全だと思いつつも先輩に送ったらその部分は別に特に言及されなくて、そのままでもかまわないんじゃないかと思いつつも、変えるとしたらその工程の中にまた先輩に聞くフェーズが入ってきて、そのタイミングどうしようということなんかも少し負荷。

そんままにするから負荷になっちゃうので、適当でもいいから決定をその都度して記憶に明記したほうがいい。頭が狭いので、その記憶を覚えていることも、明記する行為を思い至るまでもなかなかままならない。ノートに書くことを習慣化するという方向でここにその解決法を明記しておきたい。試みてはいるんだが紙がその都度どっかいったりして記憶も部屋も散らかる。インターネットは体積を持ってないので部屋は散らからない。

自分で決めたルールは、なんでも書かないと作業を効率化できない。デスクの使い方、PCの複数デスクトップの使い方。正方形の付箋に書いて貼っておくことで、ものは定置管理がしやすいのでその手法を積極的に取り入れたほうがいい。複数デスクトップも同じく何かで名前を書けるようにしたほうがいい。仮にでも。わかってきたかも。

今キーボードの下に紙が置いてあって、微妙に精神活動を阻害しているけれど、これはどうしたらなくなる?今なくなるというよりかは、しくみによって存在しえなくなるという意味で。これは今裏になっているのでよくわからないが、多分研究のメモか、生活関連のメモ。前者だとしたら、ジャンル分けして10ポケットのファイルにしまうことにしている。なんでしまっていないかというと、さっきまで作業をしていたからだと思う。今思考の順番を少し間違えた。後者だったとしたら、というのを先に言うべき。可能性を考える前に。後者だったとしたら、ルールが決まっていないのだ。これが問題。決めたいけど、こういうメモは今後要るかどうか怪しいものが多く、研究のようにとりあえずしまっておくというルールは適応したくないのだ。多分それによってルール作成が阻害されてた。

とりあえず、今すべきことは、①研究メモのしまうタイミングのスケジューリング。②生活メモ分類ルールの作成。すべきことにとりかかる。

①については、作業終了時に即時。できれば作業を終えるのかわからないというタイミングでも、終えるかもしれないと思った時点で片付けたい。曖昧だなあ。

②については、わからないとしてもとりあえず置いておくスペースを確実に作るべき。本当に重要なら、それをそこに入れる段階でフィルターがかかり、別の場所へ行く。この別の場所というのは常に持ち歩いているファイルなどかと思う。机の上に置いておきたいものもあると思うので、それを置くスペースというのも確保する。

一応終わり。作成したルールを適応可能なように実環境を整える。終了したらここに書く。終了。

ばかみたいだなあ。そうなので仕方なし。何歳だよと思った架空の誰かのために恥ずかしいとは絶対に思ってやらない。何を言っているかは部分的にわからない。

もっと大きなことを考える予定だったのがかなりしょうもない(って架空の誰かが言ってた)テーマになったのはやや残念に思うけれど、今の自分の状態行動空間がこのレベルの話になっているということか。それが分かっただけでも良いんじゃない。

ディスコミュニケーション

意味の無い会話が意味無いと思っていると本当に意味がなくなってしまうのだけれどそれは誤りで、それなりには意味はこじつけないといけないのだった。

形式化された問答にとらわれたり、何か自分に非があると必要以上に下手に出たり、そういうことによって常に意味は殺されてきた。何も思わないなら話す必要もないのに。

話す必要がある。生きる意味と同じくらいには無意味にも「ある」。

 

何が言いたいかというと失敗したコミュニケーションを記憶、反省して次に繋げたいということだった。

_さん・・・よく話しかけてもらうものの、思ったよりよくわからない。発言意図はまだしも、言っている内容を理解していないのにそれを突っ込んで聞かないのはよくないし、この人にはちゃんと聞いて理解することを重視する。

 

_さん・・・貴重な同分野の先輩なので一番仲良くしたい。一緒にいる時間が長い分、無意識に出る自分の悪い部分には気をつける必要がある。とりあえず、言われたことを逃さずに理解して行動に繋げる。この人においては行動が重要。

 

_・・・部屋を出るとき、わたしが大きめの声で「お疲れさまです」という前に、「おつかれ」と言ってくれたのだけれど、個別に対応せずその大きめの「お疲れさまです」だけで済ましてしまった。形式にとらわれた悪い例といえる。

 

_くん・・・接し方がまだわからない。うなずいてくれたり、前よりはつかみどころがある感じはする。(彼くらいの歳の頃の)自分に近いタイプのように思うし、他人よりは少しだけわかっている(ような気がする)自分には、もっと良い形態が考えつくべきなんじゃないか。

 

 

みちる

昼間は研究をして帰ってきたら一時間ギターの耳コピをするという生活に、これまでにない充実感を覚えている。

これが無理矢理引き伸ばされた猶予期間(らしきもの)によるものだとか、そういう事情を考えずに、即ちまだ先のことを考えないでいることに、生活の純度気持ちの純度が補強されているような気もしている。この充実感を享受することは僕にとってこの上なく新鮮なことであり、それを続けることはさらに未知の領域であるから、そこへ向かいたいのだけれど。

これも考えたくないがためだけに脳が嘯いた言葉だったとしたら、救いようはない。息をするように無駄で悪趣味で何のプラスにもならないことを言う気持ちの悪いもの。幸せの総量を減らすもの。