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raingoesup

「中高生のときやりたかったブログを今やる」

日記

あまりにも外れないように保っている。辿ってきた軌跡も向かおうとする軌跡も違いすぎるのはわかった。数の暴力で間違ったものを浴びせられるのは当然気に食わないわけだ。欲をいうなら、正気のうちにそれを飲み込んで場所そのものを変えてしまえるような人間に僕はなりたいけれど、いささか余裕がない生活が底を見ない現状にとっては過重なものだろう。

忘れることを忘れ

関係はない。忘れることは忘れた。自分は常に新しくなる。新しいものの影に思い出したくも無いものが表れて嫌になる。こんなくだらないことも、多分一生覚えている気がする。その彩度はせめて相対的に限りなく低くなっていってほしいものだけれど。

 

新しい世界を開くのが言葉であったならばそれは自分の望むところだけれど、それを今綴っている。気負ったものでなくていい。普段試みるように、その端に少しでも良さを滲ませようというものにしたい。

 

愚かにも恐れるように、自分を低く見られたとしても、嘘の無いものが相手に残れば、お互い距離感を矯正して幸せになっていけるはずだから。

日記

磨耗が激しい。

つらい一日だった。朝からいろいろなものに怯えて、それでも快活な人間であろうとして多くの後悔とそれ以上の過ちを一個一個こなしながら、避け続けても喉の痛みだけが残った。

命はどうにも合理化して割り切れるものじゃない。それどころか、その問題をメタ化してしまうことすらも恐れ多く、インターネットで調べることすらできない。社会的最適化を拒むのが自分の幼さであり、価値基準の狂いなんだろう。

何かちょっと意味がわからなくなってきたのは、テレビ番組を見ながら書いているからで、もうなんか意味分からないです。頭がいくらか悪くなる。マルチタスクだけはやめろ。

日記

大きな声を出して自分を保とうとするのは愚かさかそれとも芸術か。それによって放出される情念のゆくえを霞ませる以前に、またよどんだ気持ちに支配される。先週よりもだいぶと早くなっている。髪型がよくないのがいけない。一万ぐらいなら今の自分にもなんとか出せるから、誰か何も言わずに似合う髪にしてほしい。即時的な魔法を期待するのは愚かさであって、それを感覚で補うというのも雑なのであるから、全面的に社会的に自分は間違っていた。貨幣価値の重み関数が狂ってしまい、バックプロパゲーションを用いてももはや学習は不可能となっている。もう一度すべてはじめから重みを付け直すとすると、狂った人間が探索を行うことになり、今かろうじてある信頼もすべて失うことになる。それでもなおうまくいく気などしないのだから、階層型の地獄に状態行動空間を張るしか、許される方法はないのではなかろうか。概念が交差して人格が霞んでいった。脳は単純じゃないから使い方を誤るなよ。

日記

朝起きるか起きないかというとき、知らないおじさまが家に上がりこんでいて、轟音を響かせながら家を破壊していた。トイレが新しくなった。

便座の付け根あたりの気持ち悪い汚れとか、壁紙と一体化したほこりとか、床とか、そういうものががらと変わってしまったことは、たいへんな変化だと後から気付いた。ぼうっとながめる景色は日常そのものだからだ。なまじその周囲はそのままだから、空間が歪んだようで、なんとなくまだ近寄りがたい。

 

研究室でグループのミーティング。プログラミングなどをその場で覚えて制限時間のうちに実践するという、リアルタイムな頭脳の作業を久々にやった。仮説を立ててそれに基づいて手を動かし続けるということができれば、あとはトライアンドエラーでうまくいくことが多いと思う。少し焦ったけれどうまくいった。

 

アルバイトもそれなりにうまくいったので良い日だった。

立ち止まるなら終わり

学ぶところがないなと思う。インターネットや紙面の向こうにしか。

なんであんななんだろうか。目の前にいて、なまじ同調をしているというのに、それに対し正反対のありかたをしようなどというのは、狂わないか。

そしてこういう不満を、あわや(というよりも普通に)知り合いに見えるというところで垂れるのは、その自分が気に食わないものの陰を落としているようで、とてもなさけなくはずかしい。けれどまだわからないから、これをいくしかない。

 

時を同じくして、やりたいことがわからなくなる。定期をなくし絶望と思ったらあった今日のように、またふとしたところで自分の過去に気付くことが以外にもあっさりなされるような展開を、なんとなく望む弱さが見えている。まじまじと。

日記

今さっき走ってきたところ。

 

よく晴れた日だった。行くところや行く意味が無いどころか後者はマイナスにしかならないという状況に少し気を落としかけたけれど、犬の散歩に行ったり業務スーパーに行って新奇な食材を仕入れたりして及第点に及んだ。新しく入ってきた季節を素直に感じられるだけでいくらも昨年やその前の何年かよりかは心が洗われている気がする。