raingoesup

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日記

比較的真っ当。それ以上のことはない。

 

黙っていることに満足していたら、いつか本当に何もできなくて崩れ落ちる気がしているけれど、今からすべて作り出すイメージも全く湧かない。どちらかといえば、環境要因から醸成されるもの。そこに希望を持っている。いくらか本気で。

 

今日は黙っていた。泣いただけだった。できない僕が抱く尊敬は、その後5分後くらいに聞いた罵声でどうでもよくなってしまった。

日記

たまらなくなって外へ出た。

月が出ていた。満月ではなかったような気がする。記憶していないのは、まわりに月の百倍程の径の光の輪が出ていたのに心をうばわれたからだった。

 

夜の神社は、わずかな光に石塔や砂利が照らされていて美しく、森の匂いがひたすら存在しない追憶を呼ぶ。

砂利を踏むことはない。

日記

携帯というのも今時はばかられるデバイスでやるには、まず操作性と反応速度が悪すぎます。いくら頭痛で劣化しているとはいえ、さすがにこれほどではありません。逆に思考が引っ張られて劣化するような感触すらあります。フリック入力という技能をみにつけたほうがよいのかもしれませんが、気力が起きないというのは怠惰でしょうか。さっきはかろうじて二本指でしたが、電車内でのバランス制御のために片方が駆り出されてしまったいまでは、より一層不便を感じており、怠惰が恨まれるという場面ではあります。

さて頭痛ですが冷房のおかげでいくらかましです。振動は外乱ですが、これによって緊張がほぐせるというのです。この脳が嘯いた報告によると。本当にそうであるとするならば、こんな一見不審者じみたことよりも、その手法の検討に取り組んだほうが、建設的かつ安全です。

半オートマティスム

日曜日も駄目なので音楽を聴きながら文章を書くとどのような状態になっているのかというのを明らかにしようと思う。日曜日も駄目なので、からは順接に適さない文章だった。それで何か。今はグッバイというのをきいた。女の人の声だった。全く文章が音楽に追いついていないので必然的に情報は薄くなる。情報は?情報だったか?まあいい。今はギターのカッティングがさらにガチャっというカセットラジカセの音で区切られており、あとは鳥の囀りと、youとかいっている。今度は男。チルな感じかと思ったらなにか知らない、乗り物のようなうねりのある音。けれどそれはすぐ消えたらしい。ふぅーん!へぇ!みたいなイントネーションでふーぅ、ぅうと言っている。また曲が変わった。これは何だ。レア社みたいなゲップが時折混じっているけれど、ギターベースドラム。語彙力が無くて表せないけれど、今は少しトロピカル。と思ったらまたゲップ。水の音も聞こえる。ギターの音の虚ろさ?いや単に遠さや小ささといったほうがいいか。フェードアウト時にボーカルがうっすら聞こえるというのもあるね、そういえば。今は、これは24/7 Lofi hip hop radioというのを聴いていて、裏のタブではジブリ的なガールが勉強をしていて、時折こちらの胸元あたりを虚ろに見詰めてくるという映像が無限ループしている。僕はこれをフルスクリーンにして勉強したりするそれなりに気持ちの悪い趣味があったりするのだが、それよりは昨日やったように家の前で虫にまみれながらのほうがよっぽど効率いいし、なんとなく風情があるね。いや、こちももう少し工夫すれば、うまく没入できるのではと思っているあたり、救いがないといえる。このような像はなんなのか?そういっている間にまたフェードアウト。僕の貧弱な語彙では、またあまり馴染みのないジャンルというのもあいまって、語ることがなくなってきて、晴れてこの文章も終わりとなるはずだ。この試みは自分の知っている人?いや、知っている人。インターネットでそこそこ活躍している人がやっていることの真似なんだ。なんだけれども、を途中で区切ったらチャージマン研のナレータの人のようになった。いや、そうではなくて、このように白状をするのは、なるべく月並みな表現を避けて、読者に役立つ情報を流すべきだという考えからだ。月並みな文章を語ることは本当に無駄だし、つまらないと感じる。これも再帰構造なわけだが。誤用のセーフティネットを張ることもまた月並みであるので、そこから一つだけ階層を深くしたもので代用した。音楽が止まる瞬間に思考も止まる。それを思い出すのは、やはり文章がなければ、さっき考えていたことが保存されているという保障はどこにもないのだ。さっきの文はおかしい。ようやくエディタの最終行(見えている範囲で)かそこらかというところに辿り着いた。今少しエンターキーを押してネタバレをしてしまったけれど、ここでエディタが変化する。スクロールバーが出現するというのは予想通りであったけれど、それと同時になぜかこの空欄自体も微妙にずれたように見える。何の都合でそうなっているんでしょうね。これはもうどちらかというとタイピング練習みたいなものに近くなってきていることに気付いた。この文章は多分読み返すだけ時間の無駄だろう。思考のおおよそ4割くらいは保存されている気がする。今の記述によって自分の脳みそがいかに小さいかということが、客観的に伝わるのではなかろうか。けれども僕はいまいちみなさんの脳の大きさというのを具体性を持って感じられたことがない。こういうことはできるだけ明らかにしていったほうがいいと思います。紫外線。紫外線の殺菌の話はタブが今見えたというだけで、したくありません。したくありませんといえばそこにしたくない理由が内包されるので少し脳が膨らみますね。本当かな?逆に不要な問題提起をしてしまうと、着眼点がそこにしかないのかということになりますね。予想外の問題提起をすることで、大きくなるということはあるんじゃないでしょうか。卑しい発想ですが、僕はそういうところに惹かれるんです。自分もそうでありたいと思うのは当然じゃないですか?ジングルベルがきこえますね。その足音とともに終わるみたいなことを一回やってみたかったんですよ。急な話の転換をすると脳がついていかなくて、足元の留守のような文章になるんですね。~ね。うーうーうーというのにおっさんのどこかで聞いたような声が重なっている、というのに気付いた時点で僕はジングルベルを失いました。ジングルベルってなんだっけ。聞こえねえよ!!いまは少し思考に嘘をついた。そうでもしなければこんな、意図しない短文なんて書けません。意図しない汚い?言葉を吐いたら不快な人間像が浮かんできたのでちょっとまた思考を偽る必要がでてきたかもしれません。いや、それよりも確実に語りたいことができました。ラッパの音がすばらしいのです。と思ったらラップが始まってしまいました。ヤンキーは嫌いなんです・・・。そうさっきの話もそんなようなものなのです。語りたくないと思った対象はね。さらにそれらとヤンキーとの違いも考えてしまったりしたから余計に面倒です。これをやめるべきかな?フェードアウトもさすがに見飽きましたよね。これはあなたへの配慮です。伝わったかな、そちら視点での文章ということ。ここまで読めは確実に伝わるので、伝わったかなというのはいらない一言でした。そういうのは暴力だ。嫌いです。止まりました。時計でも置いていれば、その空白を定式化できるかもしれないのだけれど、今は生憎。アイムソーリーといった後に音が大きくなったから、それはつまりことわりをいれたということ?いやそれだとエクスキューズミーじゃないですか?それとも音量の上がるのが、やった作業に対して遅れて立ち上がるとかでしょうか。それだとしてもその時制はどうなのという感じですよね。ピアノの音がきれいです。語ることもなかったらそろそろ終わることにしましょう。

日記

土曜日なので調子は悪い。

 

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気付いたら7月なので7月に媚びるという宗教をやることを思いついた。これは7月の神聖性によって自らに催眠をかけて行動を制御しようというものだ。結局神聖性の破壊だけが残るという結果も見えますがあまり気にせずに途中まででもやってみたいという気分なので、では、お願いします。数行後までを消していま帰ってきた上でお願いしているのですよ。

白い壁

 

 今日はこれを部屋に張る作業をした。

 

ホワイトボードを使っていると何故か捗ると感じるが、多分その要因は消しやすいことと書く領域が大きいことだと思う。

 

これは自由に切って壁に貼れるタイプのホワイトボード。普通のボードよりかなり面積当たりの価格が低いこともあり、とりあえず買ってみた。

 

四畳半の部屋に窓と出窓がついており、出入り口とかつて戸だったところ(今は塞がれて壁になっている、引き戸だったので面積が大きい、ただし表面の粗い木で塞いでいるのでこれを貼るのにはおそらく向かない)に加えクローゼットもあるので、壁資源はそう潤沢ではない。

 

・目的としては、ふと思いついたことをサッとかけるようにするとか懸案事項を整理するだとかなので、なるべくデスクに座っている状態からすぐに書ける位置であることが望ましい。

・だたし、デスク自体も壁の前でないと落ち着かない。

・また、同じようにデスクから近い範囲にあってほしいものとして本棚が競合し、これもできれば壁に背を向けていてもらいたい。

・領域の広さをフルに活用するには、できるだけ分断されないような形で貼りたい。しかし壁面は窓とかその他諸々で分断されている場所が多い。

 

とか色々条件はあったのだが、結局一つ目は無視する形でベッドの置かれている場所の壁に貼ることにした。ベッドの上に座るか、ベッドを少しずらせば立って書くこともできる。立って書くのは、適度に脳が刺激される感じがしていい。書き忘れていた利点をついでにもう一個あげるとすると、下を向かなくて良いという点。起きてすぐ夢の内容を書き殴れるので明晰夢が見たいときにも良い筈。

その場所は角に位置しており、その隣り合う面も空き領域だったので、今まで使っていた壁掛けタイプのボードを隣り合うそこに掛けた。角を使うことにより抜け道的に分断が回避される。

 

実際使ってみるとまあまあ捗った。ただ、もうちょっと広いとより捗るのにとは思った。元々使っていたサイズは45×60くらいで、今回切り出したのも同じくらいのサイズなのだが、いまいち足りない。必要なことを書いたらだいたい埋まって、あとの領域ももったいなくてどうでもいいことが書けない。

 

これを貼ろうと思ったきっかけの一つが、少し前に見学した研究室の広大な壁一面がほぼすべてホワイトボードになっているのを見たこと。理想はあれなんだけれど、まだ遠いなあ。まあいずれまた拡大したい。

 

 

日記

釈明もできない愚かさにまみれながら起きたら血塗れだった。地獄のようだと思っていたけれど、彼はそれから数時間後に救われたらしい。

 

これきりにしようといつも思うのだけれど、愚かさは終わらない。最低限工夫は必要になるだろう。

あとの要素になる忍耐はいらないところで使ってしまっている。

 

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今はそれほどでもない。まあ徹夜をしたにもかかわらずタスクが達成できなかったり_が暴れていたりというだけだ。日中はそれなりに前向きに調べ物をしたりパソコンを組み立てたりしていた。

寝不足によっていくらか心が軽くなり、研究室でもニヤニヤしながら過ごせていた。いつもこれぐらいにしておくのがちょうど良いかもとも思ったが、鬱に転じてしまったときが怖いので難しい。