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「中高生のときやりたかったブログを今やる」

日記

完璧とは程遠い。妥協点にあと一歩で足りないところでいつも止まる。

重荷はひとつ降りたけれどそれでも寂しさが加算されて差し引きはマイナスである。言葉の符号が色々とおかしい気もするけれど、これが直感だ。そういう雑な感覚のまま過ごしている。考える時間はあまりないのだ。

今は妥協点に辿り着くための足掻きをやっている。並行して二つの物事に対して同じような足掻きをしている。ようやくようやく計画性というのを学んできた気もするけれど、実を結ぶ日はいつになるのか。

半身をドブにつけたままずっと生活していて、たまにもがいて沈まないようにしている感じだ。すっきりとドブから脱却する機会がもしかしたらあるのかもしれなくて、それがこの足掻きのうちの一つと関係している。そう、もう一つはそんなに重要じゃないんだけれど、こちらはあんまりないがしろにしていると全身がドブに浸かるような予感をさせる案件だから、また怖い。

日記

ぼうっとしてしまった。理由はある。いやしかしそれとは別に隔日でしかちゃんとできないという引力のほうに影響を受けた結果なのかもしれないが。

昨日と今日とそして明日は位相が異なる日だ。その代表となるのがそれぞれの日になってしまうとしたら、まともになろうかとも思うべきなのだろうけれど。

日記

今の気持ちを書くべきかどうか迷うところ。語りえぬものについては沈黙せねばならない。今はそれが関係あるかどうか。これもわからない。頭が回っていないのだと思います。そう、それをこのまま寝てしまっていいのかということを考えあぐねたりして、時間がないのも忘れてしまっているような。

今日はまあましな一日。隔日ならばなんとかやってくるが、こんなんじゃ追いつけないだろう。今はそれについての虚しさは微塵もかんじていないのだが。

語ることなく一生を終えることはないようにと、思えているときは調子が良いほうだと思う。しかしそこだけが重要なのではないから、そう思えていないときでも別に悪くはない。思いたいときに思いたいことを思っていたいのだ。それ自体にはなんの矛盾もなく滞りなくいってほしい。まあ、そこまで単純化したまま寝るわけでもないと述べたいので述べておくのだが。いささか適当すぎた。

日記

夜の大学は美しい。空気は昼間の熱をほんのりと残しつつも澄み渡っていて、雑踏の痕跡はない。しかるべき灯りは消えて、一方では点いて水面や舗装を照らす。

サークルか何かで創作行為なり何なりに勤しんでこの時間を迎えてみたかったという気持ちは当然のように湧いてくるが、今となっては割とどうでもいい。昨日のことがあってそういう気持ちになったのかもしれない。

 

バス停はまだ騒がしかった。運動部が帰るところのようだった。そこで地べたに座り込むのはちょっとどうかと思う。今日は閉館前に図書館へ寄った都合上この時間になったが、今度はもう少し遅らそうと思う。

日記

朝から出口を塞がれて精神攻撃を受けたのでまるっきり駄目だった。

暑い中無駄足を踏んで決定的に崩れた。

 

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やさしさを諦めるだけならこれは人生の中で必要なことだったしよかったけれど、同時に色々と重なったせいで感情自体が死んでしまった。

日記

比較的真っ当。それ以上のことはない。

 

黙っていることに満足していたら、いつか本当に何もできなくて崩れ落ちる気がしているけれど、今からすべて作り出すイメージも全く湧かない。どちらかといえば、環境要因から醸成されるもの。そこに希望を持っている。いくらか本気で。

 

今日は黙っていた。泣いただけだった。できない僕が抱く尊敬は、その後5分後くらいに聞いた罵声でどうでもよくなってしまった。

日記

たまらなくなって外へ出た。

月が出ていた。満月ではなかったような気がする。記憶していないのは、まわりに月の百倍程の径の光の輪が出ていたのに心をうばわれたからだった。

 

夜の神社は、わずかな光に石塔や砂利が照らされていて美しく、森の匂いがひたすら存在しない追憶を呼ぶ。

砂利を踏むことはない。