raingoesup

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朝起きて学校へ行った。雨だったからか、にしてもそれは長く、バスを待つ人たちの列が続いていた。自分は後ろめたい感情を持たざるを得ない状況で、列が消化されるのを待った。授業を受けて、久しぶりに食堂へ行って昼食を食べた。対面を壁にくっつけた、いわゆるぼっち席が消滅していた。無慈悲なものだと思った。孤独も尊ぶべきだと思う。少し学生部屋に行って不愉快になって、別の部屋で一人で作業をして、再び部屋に戻ってきて、中身のない者としてのふるまいをした。なんとなく悲しくならざるを得ない状況だった。そうだ、今日起こったことなんてそのくらいのことだ。何事も楽しく感じればいいんだ。そう思っていたのだけれど、精神的にはあまり余裕がなかったみたいで、眼鏡が消失しただけで胃がありえなく重い。そうだ、今起こっていることなんてそのくらいのことだ。けれど、大したことのないマイナスが降り積もって、それを覆すほどの何かはもうなくて、その側へと押し付けられてしまう。気にしていないようで、精神論や哲学でどうにかなりそうで、実際のところ同じように物量で負けてしまっているのだ。広大な海も、どうも頭に入りそうにない。

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原因はよくわからないが激しい頭痛と嘔吐で一日寝込んだ。授業は出席点のないものだったし、バイトも代講を(そこまで親しくない知人に)引き受けてもらえたので、その件に関する直接的な被害はそこまで大きくなかった。寝込んでいる、というか重すぎる何かが詰まった頭をもたげてのた打ち回っているそのときは、死んでしまったらどうしようかと不安だった。死ぬよりも、中途半端に病んで働けなくなってしまったとき、莫大な借金が親もしくはおじさんのところへ行ってしまうことのほうがより怖いとも思った。つらいからといってあまりアルコールを摂取しまくったり無駄に睡眠を乱したりはしてはいけないんだなあ。おそらくはもっと、今の楽しみがあったりやることがあったりするから、その場その場の力場によって生活がそれなりの正しいリズムを持ったりそれなりの身なりが維持されると思っていたのだけれど、むしろ、もっと先を見据えたネガティブな理由こそが、今自分には存在すべきなのかもしれない。というか、理由はどうだっていいし、複数あっていい。変わってもいいのだ。しかしながら、無限遠点にあったほうが、むしろ変わりにくく、よってふさわしいとも感じられた。ただ無限遠の場合、忘れたり見えなくなってしまったりすることも多く、それだけでは心もとない。結局それだけでは何も解決しないのだけれど、たまにはそういうことも思い出すのがいいとは思う。

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朦朧としていたい。少しでも明晰だと思っていた自分はどこかへ行ってしまったし、未来に何も描けるものがないし。もともと人並みの思考や生活は望むべくもないのだから、急に合わせようだとか思っても無理だ。理想を見失ってなお形のない理想が残っていて、無力感だけ生産し続けている。

平日はやり終えていない何かのせいで寝れない。休日は泥みたいに十何時間も寝る。今日もまだ納得できなくて起きている。

余裕を持って朝を迎えて、季節の匂いと光を味わっていれば、幾らか気分はましになると思うんだけど、それだけのことができない。

20180004

朝は弱いがどうにか何とかなっている。余裕がないのは楽しみを半減させるからもうやめにしたいけれど。新しい仕事(仕事ではない)は思うようにいかないことが多くて、自分も他人もとても不快だ。問題1、自分が単純に失敗する。けれど、初めて出会うものはすべて初めてなのだから、どれだけ失敗してもいいと決めていて、そういった意味ではこれもまだまだ無事だ。無事なんだ。問題2、他人が不快。好きになれないものはやっぱり好きになれない。けどその一部にも素直に学ばないといけないことなどはおそらく自分はとっても気に食わないんだと思う。これについていつも中学生のように悩んでいてとても子供のようだと思うけれど、嫌いなものは嫌いだし、どうにかして平衡点を見つけなければいけない。これは長期的な課題。まず自分が学ぶなんてことを言いそうになるがそれは多分無理だったんだろう。嫌いな自分と守りたい意識と嫌いな他人と正しい他人。どれを殺しにかかってどれを生かすのか。狙いをさだめて手当たり次第に放り投げる。

20180003

帰ってきたとき、今日をどうにか生きられて嬉しく思った。帰り道でスマホを落としてバキバキになったけれど。新しく入ってくることも去っていくこともすべてそれを自然にただ考慮に入れる必要があると感じた。失くしたから敗れたから悲しいのではない。いくらその比が失っていくほうに傾いたとしても、それをそれとして考えないといけない。見せ付けられる差異についても同じで、それはこれからももっと強く見せ付けられ続ける。変わることのほうが珍しいと思う。一方で、新しい感情が芽生えたような感覚もあった。昨日悲しすぎて泣いてしまってどうしようもなかったがあまりにどうしようもない自分を見つめ続けると、朝の空気の中の無垢な自然や小人たち(そこに境界はあまりなく、すべて一つの塊の概念に思える)の輝きに素直にそうなのかと、異次元に通じる窓を覗くようにして遠くからうなずくことができたような気がした。

20180002

朝から小学生を一人見た。(この見るというのは塾である実家で日常的に使われている表現で、勉強を教えたということだ。)その後満を持してバターチキンカレーの素よりバターチキンカレーを製作した。バターチキンカレーの素はソースのみとなっておりますので、まず鶏肉100 g を油で炒め、ローズマリーなんかも入れつつ、そこに素を投入し、さらに御馴染みの冷凍ほうれん草を入れて煮込んで完成。美味しかった。休日に料理をするのは豊かではないですか。だからやっていきたい。加えてこの土日は新年度初めての週末である。そこから豊かさが展開されていくべくしている。買い物に行った。豊かさを享受したい家族連れが多いようだった。(それを見てこのことに気付いた。)まともな大人ではない自分との対比に少し気分が悪くなったりもしたが、100均でいくつか生活を少しずつ豊かにする品を買って帰ってきた。ほら、LEDより蛍光灯より、白熱電球の光は本当に大切なものだけを見せるように優しく照らしている気がする。

20180001

遅く起きて遅くに学校へ行って、担当教授との相談とか学校のシステムにログインするための手続きとかメールの設定とかを済ませた。帰りに途中の駅で降りて駅前のビルに入っている図書館に行ってみることにした。

ビルに入ったらパン屋があってサンドイッチ半額で、いい感じのおばさんが店番をしていたので(大学生っぽい店員は苦手)入った。デニッシュ生地のパンにハンバーグが挟まった「デニッシュサンド(ハンバーグ)」とアイスカフェを買って居座り、最近手に入れたノートパソコンを弄った。人は適度に少なく席は適度に隠れており、落ち着いた。また行くと思う。

図書館は5階。5階でエレベータから降りたら市民の憩いのスペースとなっており、ちょっといい椅子と落ち着いた暗色の床や壁があった。色々な市民が座っているようだった。図書館はそのスペースから通じていた。利用者登録を済ませて3冊借りて帰った。また行くと思う。