午前4時に会話をしたことがきっかけになり、崩れる。朝は色々とどうでもよくなりつつ、足は動いたのでまかせた。過ぎ去ってしまったらなんということはない、誰も気にしていなかった。
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雨。暖かくて霧っぽい。昨日は帰るタイミングを間違えてバスが来るまで30分近く待った、そういうことがあったにもかかわらず、今日の行きも同じくらいの時間バスを待つことになった。その時間に、目の前にあったのが、雨であり、別の目的地へ向かうバスの、外から見ると薄暗く見える車内であり、窓の雫であり、同じくしばしば車内を見上げれば存在する路線図のように入り組んだ、細い手すりであったりした。気温もちょうどよくて、最近では珍しく、かなり意識がはっきりとしてきた。聴いていた曲が、あるままに聞こえた気がして刺さった。
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ドブに捨てること主体の一日だった。
やることが思い浮かばない。ということはまあ別にいいのか。知能レベルがある程度下がっているのは感じる。これ書く必要ある?
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聞くこと主体の一日だったが、なんやらよくわからない意識が出張ってきてやや不安定だった。口を挟むこと、人を見ることなどの加減がわからないので。議論している傍へ寄っていって、問題のものを触ってみるなどしたが、結局まともな意見を述べることはなかった。そういう雰囲気への溶け込み方というのもあるんですかね。都合の良い解釈か。
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10年前に思いを馳せることがあった。実際に振り返っている人間たちの会話を通して甦る。心を震わせたことがあったんだなあ。そういうことが足りてない、という安易な結論もひとつとっておいても罰は当たらないだろう。
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昨日の勢いで研究室に行って色々話す。話すこと主体の日となった。
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基本的に調子は良くない。裏目に出たというか、思い通りに行かなかったときのものごとの様子に、すごくにらみつけられるような気がするのだけれど、実際のところほとんどは考えすぎである。みんなそんなにおれのことはどうでもよくて、各自一番いいと思う行動をとってるだけだったりする。そういうことがわからないのだ。
わかったとしたら、楽なものだ。なんせ、必要以上に頑張る必要や原因がなくなってくる。にらみつけられていると感じることがなければ、やることは、ただ今からするべきことの、にらみつけられたほうとは別の方向のことをやればいいだけである。
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理性的な落ち着きも、神秘的な落ち着きもどちらもなくて、まともに生きられていないのを感じる。