raingoesup

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2020/02/20

発表が終わってお酒を飲みに行った。2個目の頭痛薬を服用していた。移動中は、おもむろに近づくのではなく、少し離れた位置にいた。立ち飲み屋でおじさんおばさんや店員と絡みながら飲んでいた。自分はそれを見ていた。2軒目では頭痛もましになってよく飲んでいた。下品な話を聞いた。電子煙草を吸った。盛り上がることには正義がある気がするけれど、下品な話に巻き込まれるのは正直気持ちが悪い。

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いつも自分は盛り上がっているのを見ている。自分の存在が盛り上がりを阻害していることはないだろうか。一人くらいこういう人間がいたほうが何かしら都合が良いということがあったりするのか、それともやはりいないほうが全然集まりの質は良くなるのか。その場にいなかった場合のありかたは自分にはわかりようがないのでわからないけれど。

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一つの時間が終わって、身の振り方を考える。今までとは別の枠組みの中で生きることになる。生きてもいい。生きなければならない。やることは何か?大事なことは何か?一つには、虚像を見ずに目の前のことに集中することだと思う。失敗、不調、低迷の要因には虚像がある気がしている。今までのことも、新しい場所では虚像だと思うべきで、ただその場所における倫理と、どうしても持ち込みたい最低限の自分自身のみに従わないといけない。

別に場所に100従うべきというのでもない。ただ、過去や存在しない未来のそこではないどこかに存在しない思いを馳せても仕方がないということは学んでもいいかと思う。

いままで経験したいくつかの場所、人を参考に、本当に目をそらすのではなく参考に生きたい。

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親しく思えた何人かも別の世界のもののように思える。静かに生きることへの憧れがある。外へ出るべきなのは確かだけれども、それはイコール人と関わるべきというのではないのかもしれない。できることなら、ふさわしくない集まりに、なんとなく笑いながら居て、心ではそれに入っていきたいと思っているようなことはやめて、自分の世界をちゃんと生きたい。こういうことも虚像なんだろうか。

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2020.02.18

学生として果たすべきことももう明日の一件のみとなった。落ち着いていられるといいのだけれど。できれば最悪な精神状態にはならず、落ち着いて初めから終わりまでをこなしたい。できれば目を見開いて、顎を引き、情感豊かに、緩急をつけながら話したい。

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何かしらの避けがたい人間的な気持ち悪さみたいなのが、どうやってもにじみ出るような気がしているけれど、なるべく気にせずに、一番自分が輝けるような動きを出したい。(なんて言葉使ってるんだ。)空を見上げて遠くの雲を思うようにして、自分の位置を見極めていれば、ずっとそういう風にいれる気がするのだけれど、そんなに単純なものでもないか。やっていきましょう。

2020.02.15

少なくともあともう少しは連続でいるべきなんだと思っての。

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作るのには魂が要って、とか言っても言わなくても、すぐに疲れてしまっている。苦痛には普通に押されている。朝も無理に起きようとしない。

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何が正しいとかではなく、とりあえず完成させること。完成させることが、の先、それ以降の言葉、概念も余計だと感じる。そこで止めておけ。「とりあえず」なのだから。

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あと少し。とりあえずこの期間を、同じようにして、意識を留め置いて、同じような幸せな形で作業を続けられたら、それが幸せ。その先はまた少し違った意識が必要になるかもしれないけれども、とりあえずここを一番幸せに過ごせるのは、そのやり方、その美意識になる。まあこれも完成させることより上のレベルの話か。完成させることが大切。

無題

朝起きてパスポートを取りに行く予定だったが、頭が痛く体が怠かったため起きれなかった。昼に起きて、外は晴れていた。家で作業することもできるけれど、籠っていると頭がおかしくなるから、学校へ行った。かなり暖かい。寒さを全く感じない。髪型を崩さないためと、いつもは防寒のために被っているフードが、今日はかなり不似合いだった。学校には人がいる。パスタを作り、エスプレッソを淹れていたようだった。自分はその場にいることなく、オリーブオイルを貸し出していた。サラダ巻とピザまんを食べた。

発表用の資料を作る。ネックになっていたストーリー面は一応まとまったつもりでいて、また良いフォントを見つけることができデザイン面も改善できる見通しが立っており、さらに悩んだ末スライドデザインの本も買って態勢は整ったつもりでいたのだが、作業はまだうまく進まなかった。すべて書き出したと思っていた筋書きには、自分の脳内補完による欠落があった。また自分しか知らない論理構造とデータを4:3に20ptだか24ptだかでフォーマットして収めていく作業は、仮に方針が決まっていたとしてもすぐに終わるものではない。頭も痛いし。

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追い込まれると当たり前のことがわからなくなる。今日だって、パスポートなんてまた後日取りに行ったところで何の問題もないのだけれど、それがわからなくて、起きれなかったことを残念に思ったり、あらゆる行動が遅くなったりした。

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作業は楽しい。楽しくなければ作業ではない。(そんなことはまったくない。)何が言いたいか、何をどうしたいかわからなくなったけれど。楽しいがためにこだわって狂って逆に追い込まれしんどくなり何も楽しくなくなりがちだ。そんなことではやはり全く幸福ではないので、真に幸福たるために、やはり完成させることが第一、くらいのモチベーションで臨むべきかなと思う。

2020.02.01!?

気持ちを落ち着ける必要がある。なぜなら落ち着かなくなる要因があり、落ち着かなくなると手につかないから。

まずは自分の中にうずまく一つの被害妄想めいた感情をどうにかしたい。

どうにも自分がやってきたことが上手く自分の成果として機能せず、自分が他人に施した(と思っている)ことによって他人が評価され、ついには自分が相対的に貶められるような気がしている。論文発表の場のイメージが浮かぶ。

これは単なる妄想であり、影も形もない。

妄想としてただ無視するという方向に加えて、仮にそうであっても、別にそれでよかったはず、というように思うという方向の解消策もある。

両方をうまく機能させることが望ましいけれど、どうにも後者をやっているとそれが真実のことのように思えてしまって、自分の想像と現実の境界をうまく定めることが自分にはどうも得意でないのだなと思う。

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とりあえずそれらは今本当にどうでもよくて、とりあえず完成させることが全てである。

それまで積み上げてきたものをゴミ同然に掃き捨てて何も残っていないような自分自身についてもふと思い出すが、それもどうでもよく、ただとりあえず完成させることが全てである。

それを掲げることによって、幸福であれることにも気付く。作業は人を悩みから解放して、幸福にする。無理矢理でも生み出された進捗で幸福になれる。

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ロジックが雑で、自分の研究のことを思い出させられるが、それがどうでもいいことだけは真理だと思うのでこれ以上語らない。

2020.01.31!

よく休んで云々というようなことを昨日書いた通りよく休んだら、幸か不幸かひらめきを得て、研究のクオリティ、というか整合性のようなものが少し回復する見込みが得られたが、反面やるべきこと、できることの幅が増えてしまった。少しいいものになるような気がしてしまうけれど、適度な距離感を保って、惑わされないように、完成させることだけを目的でいられるようにしないといけないと思う。また、この変化によって時間(帯)的・空間的制約から解放されることになったが、それによって意識のコントロールの変化が難しくもなっている。今までと違う動きをさせられる。まあやっていきましょう。