raingoesup

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2020/06/10

最悪の精神状態でシャワーも浴びずにBLUEを飲んで寝た。5時に起きる予定だったが6時に起きた。普通に間に合った。今日は塩胡椒をかけて、お湯を多めに足しながら沼を食べた。食べやすく美味しかった。

 

 

会社。要領の悪さなどでどうやっても精神が濁っていく。いらないことも考える。結構しんどくなってしまっている。

 

 

はい。俺だけが年齢不相応に。でもそれは...。

 

 

でもそういうことはいい。ただ眼の前を。幸福に生きよ!

 

ある程度狂った人間なりに矯正させた幸せがあり、その中に正気をなくすことが含まれている気がしてならない。

 

 

 

 

 

 

少なくともそんなに人並みにまともではない。じゃあいいじゃないか。究極どうでもいいと思うことで心を軽くする。迷いをなくす。迷っている時間が一番虚しい。失敗を浮かべている時間も同様に。

 

いくつかの行動について、失敗か成功かがつきつけられる。つきつけられないまま、実は決まってしまっているものもある。まあそれはそれだけなので、その結果や、その結果が与える人間関係への影響、自身の評価への影響というのをいちいち思わなくてもいい。迷ったら動く。人間にウザがられることもあるかもしれないが、どうなるかなんてやってみないと大体わからない。

そんな理由からある程度即断して即反省して内面的には何も気にしないというのが最適なことは明らか。大丈夫。

 

自信の能力、成長への期待の出来なさを思えば常時躁であることが求められる。気にせず、高速に動いて。

 

 

途中のような気もするけれど、そんなところです。

2020/06/08

5分で切り上げる。

腹の調子が悪かった。沼は今回カレー粉を入れて炊いていたのだが、あまり味はしなかった。これなら結局またポン酢とかかけるので、無駄なことしたかもしれない。プレーンにしといて、後から味付けたらそれでいいのか、やはり。

 

 

会社にいるときは生活のだるいことを色々忘れて、家にいるときは仕事のだるいことを色々忘れる、というようなシフトが明確にできれば、幸せなことだと思う。だまされて。

 

 

 

ねようか、というタイミングで、TLでsuzuriのセールが今日までというのが流れてきた。少し前に気になっていたものがあったから、なんとか掘り起こして、終了1分前くらいに注文完了した。よかったですね。夏が少しでも気分の良いものになれば。

 

 

机は買ってよかった。これがある中で、大学生活あるいはそれ以前を過ごしていたら違っただろうな、とも思ったけれど、そういう話はやはり良くないです。一番良くない話と同じベクトルになりうる。一番良くない話、仕事中も依然として考えてしまうのだけれど。

 

5分経った。余計な事言って気分を悪くしたかな。まあ、悪くないです。明日は電話を率先して取らなくてよいので、今日よりは少し余裕を持てる。作業に没頭したいですね。目の前に。

 

そんなとこです。やっていきましょう。

行間

脳が悪い!/注文した机が届いて部屋、というか机の周りの雰囲気が格段に良くなっています。よかったですね。/これで終われたらよかったんですけれど、実際は脳が悪くて苦しいので、よいことばっかりじゃないみたい。/なぜ脳が悪くなっているのか。休日の過ごし方がゴミだから?明日から在宅でなく毎日出勤になったから?解決していない問題が多いから?/いずれにせよ、脳が悪い感覚に圧迫されて全く明晰じゃありません。/明晰にしていきたいところなので、まず苦しんでいる自分を画面のなかに描きます。これです。何に苦しんでいる?いやそういうことはどうでもいいのか。苦しんでいる自分がなんかおり、でもそれって変じゃないかということを抱いていく。生きづらいと思っているんですね。何?苦しみにそのまま心を晒すのはよくないですよ。わかった。晒さない。/OK。とりあえず明日会社に安全に行くことを考える。それに必要のないタスクはとりあえずどうでもいい。どうでもいい。できなくて苦しむ必要はありません。優先すべきことは、メモに書いてある通りに会社へ行く準備をすることです。/できましたら、あとは沼をつくりましょう。

2020/06/02

体調も精神状態も良くない。昨日の腹痛がまだ残っていたし、昨日だったか一昨日だったかから突如存在感を増した悩みも残っていて、苦しめられた。ハンドリングが上手くできていないのを露骨に感じざるを得ない。今更のことですが。

 

 

退化していく。気を緩く保つのは悪くないとは思うのだけれど、罪悪感、無力感を覚える余裕のない緩ませ方しかできない。

 

 

 

 

 

さっき机を注文した。気分が変わり、広くなったデスクで作業効率も上がればいいですね。本当は椅子の方が重要だと思うのだけど、わからないし、わからないなりにちょうど良さそうというものも今のところ見つかっていないので、動画で見てちょうど良さそうだとちょうど思っていた机の方にした。

youtu.be

自作PCとかマウスとか家具のレビューを上げている人の。脚も動画内で紹介されてるやつにした。ゲームも動画編集も何もしないのだけれど、このところ何故か自作PCの動画を見たりしている。なんで?

 

 

 

椅子は見た目的にはこれくらいがちょうど良さそうと思ったのだけれど、IKEA特有らしいキャスターがロックされる仕様とか、座面が狭いという話とか、サイズが欧米人向け(靴履いてないとだめなこと含む)だとかいうので見送った。

www.ikea.com

 

 

あと余談だが、IKEAの公式サイトで買おうとしたら¥ 12,990と送料がめちゃくちゃ高くてひっくり返ってしまった。

調べたら購入代行サービスをやっているサイトがあるようなのでそちらで買った。商品自体の価格が上乗せされているが、公式サイトで買うよりは安いし、許容範囲かと思う。自分は昔から何かと適当に許してしまいがちです。しかしまあ、最近はそうでもしないと人一倍の踏ん切りのつかなさをぶち抜けないことに気付いて、輪にかけて適当に許しています。どうでもいいことはどうでもいいんです。そもそも決めるとき悩まんかったらそこまでしんどくならないと思うんですよね。

www.smila.jp

以上、酔った勢いでデスクを買った話でした。

 

 

酔っていたのか?

 

 

そんなとこです。

2020/06/01 これも仁和寺の法師

起きて沼を食べる。いつもよりはやはりましになるけれど、それでもやはり腹に苦しさを覚えないわけではなかった。昨日、今日と同じような量ならあと5日くらい食べられる。1週間分を一気に調理できるのであれば効率は悪くない。

食べているときにはさほど美味しいとは思わなかったのだけれど、昼に腹が減ってきたらまた食べたくなっていた。食べずに中華麺とコールスローサラダを食べた。

 

食べ物の話をしていれば平和なんだと、昔のツイッターの人もよく言っていた。もう少し続くことになる。

 

仕事はまあまあ、運動もできたのだけれど、昼過ぎにパソコンジュースとか昨日買って食べてなかったちぎりパンとかぷっちょとか糖分を取り過ぎたからか、部屋が蒸し暑く空気が悪くなっていたからか知らないがそんなような感触のなかで、腹に変な痛みがやってきた。勘でいくと、胆のうが悪いような。(胆のうのこと何も覚えてないので本当の勘である。)

そんなこんなで退勤後はあまり何もできなかった。大事な大事な計画を立てたりとか、どうでもいい音楽を作ったりとか。このごろギター上手くならないなと思ってたけど今日はちょっとだけ右手のフィンガーピッキングに良い感触があった、そのくらい。

気が付けばいつも最悪になっている状況、何かしらやるべきことはいつもあるはずなので、何かしらをこなしたい。ぱっと思いくのだと、計画を立てること、部屋をよくすること、新しいレシピを開拓することなど。仕事を正常にこなすことの次に、そういうこともやっていきたいですね。

 

そんなところ。

2020/05/30 ない話

ちょっと転職情報とかを見てみるかと見ていた流れで、就活期に受けていた会社とか内定をもらった会社とかを見ていたらつらくなってしまった。まあ何か、いつも一番ない選択をとってしまっているような気がするのだよな。/基本ずっとそういう「間違い」を意識して生きていることが多い。大学入学時からずっとになるので、もう長い。これは多分相当だめなことで、そうしていることによって色々失っている。/とらなかった選択肢をとった先で自分が今その方向に抱いているようなイメージになることなど全然わからないのに。いや、そういうレベルの話じゃなく、問答無用で考えてはいけない。/そうは思っても、自分のとる選択肢には癖があるように思えて、その癖が、本当に自分が気持ち悪いと思う点で、それについて考えることは間違っていないのだけれど、結局考えても、心が抉られる以外の効能はなかなか見いだせない。

 

 

 

どうしても月並みな話、月並みな表現になってしまうけれどもう少しそういった表現に頼りつつ、考えないといけないことはあるような気がして。

 

 

 

存在しなかった分岐の先を考えることは無意味だ。無意味という表現が最適なのかはわからないけれど、よくないこと、時間をたっぷり無駄にしうるポテンシャルを持っていることだ。

だから考えないようにする。そのサポート材として使うのが、自分の能力や精神状態だったりもする。結局自分が病んでいるしょぼくさい無能だということを忘れるから、いっときの評価だけをみて考えてしまうから、活躍できているようなイメージを湧かせてしまうのだと。

こういう方法も悪くはないと思うのだけれど、そんなに救いがあるとも思えない。少々足りないところはあっても、自分が今より「違和感を感じなかった」コミュニケーションを感じた場所で、そのままの感情で成長していけるということはあってもよかったはずだ。それくらいはないと救いがないとも思ってしまう。

 

 

途中かもしれないけれど、こういうように具体的な今からの行動をどうしていくかということに即していない、自分の人格みたいなものを論じたりすることもよくないのか?まあ少なくとも今はそういう会として、そのときくらいはいいだろう。本当か?

 

 

 

結局よくわからないな。少しならそういうことを思ってもいいの?全く考えないほうがいいの?

そもそもどういうのが正解なんだろう。気の持ちようとして。なんとなく将来が決まっていない頃は、あのようにして無邪気な希望とか、根拠のない展望とかあっても別によかったと思うのだけれど。それとの違和感、いやもう少しで近くで離別の瞬間を見た経験があって感じる途絶感があっての。それとどう付き合っていくかという話?書いているうちに、というか書いていてわかるようなわからないような思考や感情ばかりでよくわからない。明晰ではない。

 

 

 

まあ自分がどういう人間かとかそういうことを抜きにして、本当に過去を見ない、というのが短期的解決としては最適なんだろうな。よりよく生きることももちろん必要だし、できればもう少し楽しく、違和感なく、悔恨もないようなのが本当はいいのだけれど。そういうことって、やはり高度なことなんだろう。自分がどうこうというのも置いておいて。

 

 

失った(ような)気分が襲ってきて何も手につかなくなったり、焦りに変わったりもするのだけれど。本当そういうことよりもすべきこと、したほうがいいこと、したいことというのはある。

 

現実的な方法としては、いつまでと明確に期限を決めて、それまでは考えないとすることなど。うーん。いいのか?じゃあとりあえず1年は。そういうことを全く考えないというのも、思考停止過ぎるし、かえって面白くもない、期待も持てないような状況になるかもしれないので、あくまで優先順位を変えない、ふいに間違えないという程度で。まあ思いついて書いたけどこういう話が本筋というのでもないのかな。

 

 

とにかく楽しいことを探す。これは間違っていないはずで。まあ色々やってはいる。ツイキャスをやったけどそもそもツイートもほとんどエンゲージメントを獲得しないような状況、誰も来なくて滑り散らしているような状況だったりもして、そういうのも虚しくなるが。まあ別のことを考えたほうがいい。

 

こういうことばっかり、めちゃくちゃしょうもないことを気晴らしとしてやろうとしてやり損ねて、あったかもしれない、人と関わりを持ったり、仕事や趣味に健全に打ち込んだりすることがある20代が、人生が、なくなっていくんですか?

 

 

 

まあある程度は仕方ない。そういうものでも、やらないよりはやったほうがましだったと言える。終了。

 

それで。今どうしたいかというと、やはりなかったことを考えて、めちゃくちゃ嫌な気分になったり焦ったりすることが嫌だ。うん、確実に嫌だと言える。

 

 

ないことかもしれないけれど、今からの最善のイメージも考える。今から慣れる方向で。それを比べたらまた嫌な気分になるから、そういうことは優先順位がとても低いことなんだ。

 

 

めんどうだな。別に、来週またやっていくことは、簡単ではないかもしれないけれど、かといってそれほどまた超絶に苦痛であるとか難しいとかいうことはない。ない自分に苦しめられると、ない苦痛がそこに加わってくるだけなので、やめれたほうがいいですよ。

 

 

今すぐには動けないこともある。捨てた夢を捨てたままにするということも、全然必要なことだ。

 

 

今できることもあります。それが沼を作ってみたりすること。写真をとること。どこでもいいから出かけて、できれば座ってコーヒーを飲んだりすること。レベルが低いのは知っているけれど、それで助かることもある。

 

 

夢もあります。どうしようもなくオタクになること。いやでもまあ無理かなあ。日常の中で目指せることではあるので、他よりは実現性が高いとは思った。

 

 

 

 

まあ、そんなところです。やっていきましょう。

2020/05/26

まあそんなこんなで夜。/朝起きて仕事をする。今日はなんだか、それほどスピード感を求められる状況ではないせいもあってか、集中してんだか何してんだかわからない時間があった。いつもは昼過ぎに明確にOFFになろうとする時間がある感じだけれど、今日はそういうのではなく、ONとOFFがはっきりしない時間が脈絡なくやってくる感じだった。こんなんでいい?まあいいと思うしかないか。/ついに来週くらいから在宅中心の生活が終わるので、いよいよ本格的に暴かれてしまうのではという感じがする。なんとかして4月頭くらいの気持ちの入れよう、生活の捧げようを取り戻さないと、普通に暴かれてしまうのではないかという気持ちがあって、矯正するようにしていきたいと。色々と理由はあるが気持ちが沈み、その勢いのまま雑に過ごしていると、だんだんと理性が効かなくなって部屋が荒れていき、そのようになっていこうとする。これを直していくというのが、たまに言っている「明晰」の話であり、そのために有効なことが、日記を書いて思考を整理したり、外へでてどこか椅子のある場所でくつろぎながら予定を立てたりすることだったりする。/まあ今の状況については「明晰」の獲得だけを気まぐれに目指していてもうまくいかないと思うようなところがある。それが生活リズムの面。とにかく身体のON/OFFなどを社会に適応しうるリズムに慣らしていくことで、雑さを取り除いて、気持ちを正常に向かわせる。なかなかこれが、今やっているように就寝時刻の遅延という犠牲を払ってでも瞬間的に明晰を得たほうがよいという場面もおそらくあって、難しい。とりあえず休日も在宅勤務日も含めて、目覚ましの鳴る時刻くらいは固定したほうがいいかなあと思う。/こんなにわざとキツキツに文章をつめこんでおいて何が明晰か?/ま、よかったですね。やっていきましょう。