raingoesup

「」

マンション

今週も終わった。最後のほうはもうかなり有耶無耶である。いや最初から既にそうではあったのだが、前半は足繁くコメダに通って勉強を試みたりはしていて、それが後半になってやや意識が遠のいてしまっているような感じだった。時間はないというのに。まあそれをこんな風に書いているのもどうかと思うのだけれど、どうにも自分にとってのフラットというのは相当いびつな形で形成されるらしく、というのはまあ言い訳の後付けの言葉だが。それでもまあ、どちらかというとましなほうを取るというのは、自分のようなふらふらと悪いほうを取り続けている人間にとっては、それがまさにその最中であるならばなお、大切なことなんじゃないかと思うわけです。黙り込んで惰性で何もせずただ落ちていくよりは、なにかしらの独り言でも語っていたほうが、脳が活性化するでしょうし、それこそこれ自体が、どちらかましなほうを取るということで、自己相似的な構造を持った言説で、と言おうとしたがあら、なんか同じことを2回言ってしまっただけでした。なんでもいいや。所詮はどうでもいいんで。

明日明後日は眼科へ行きそういえば今気づいたが図書館にも行き、もちろん勉強もしつつ、なんか来週あたり出社することになりそう、というかその方向に確実に話を動かしたのは自分自身なのだが、なので、その心構えやコンディショニングや装備といった準備もする必要があり、なんか諸々としている。とりあえず整ったほうがいいらしい。そろそろその必要が出てくるという。まあ、まだ確定もしているわけではなく、いきなり出てくるものでもないので、一個一個機械的につぶしていくイメージを持って落ち着いていくのが良さそうな兆し。

精神を腐らせるのが上手な人の

覚えておきたいこともたくさんあるのだが、ちょうどいいタイミングで思い出せないくらいにはすべてのことを、思いついたいいことのすべてを忘れてしまう。そんなんだから、こうやって日記を書く段になって、椅子のキャスターがフローリングを噛むのを見て、ああそういえばチェアマットを見ようと思っていたのだった、とアマゾンを開くことになる。メモを取って覚えておくにせよ、それによって一歩日記が遠ざかることは変わらない。/最近はよく、自転車でどこかへ行こうというのに自転車の前まで来て鍵を持っていないことに気付いたりする。こういうのは、外へ出て活動していないと、どんどん弱くなっていくのだろうなと思う。/次第に話題は本筋へ展開していく。このところどうにも、また精神が弱く臆病になっていっているのを感じる。まあ理由はわかりやすいところにある気がするのだけれども、そうなってしまえば、本当に自分がエネルギー的に安定してしまう場所はこういう魂のステージなのだな、というのを思う。まあ、普通に出ていってなんかわけわからないことをしていたときのような、少しずつ傷が増えていくようなあの感じはない分、調子のいいときは結構調子よく、安らかな気持ちでやれた部分もあったのだが。ちゃんとその方向性を活かせたら、全然悪くない、むしろ理想的な状況なのだが。/最悪にならないために、色々と持つべき方向性はあると思う。なんであっても、日常生活を普通に回そうという気概を持って一つ一つを回していくことは、好ましい精神の動きをもたらすように思う。何かとても普通過ぎるような言い回しになってしまい、意図したかったところとは少し違う気がするが、そんなようなところです。←多分一生中途半端なことして何も誰にも伝わりはしない。/そう生活どうこういうことは大事なのだけど、会社におることやなんやから心が離れていっているのはよくないかもしれない。なんでもいいから都合のいいイメージを持っておきたいところ。今はというと、もともとのなんか合わないなーという気が、環境の持つ特性によっても著しく増長されている。そのようにしていると、会社の人間としてもとても弱い弱いことになっていくので、それが非常に惨めな感じだ。ともすれば、やはり何でもいいから会社や人に対する都合の良いイメージを持つことや、打算的にでもある程度のところで何かの折り合いをつけて距離感を保てている自分の妄想などを、心に置くことがとても望ましいことなんだということがわかる。/昨日最悪だったのでリズムからすれば今日はまあなんとなくそこそこのところには収まるでしょうと思っていたが、全くそんなこともなかった。まあリズム云々はどうでもいいことですが、都合のいい今日のイメージが保てなかったのは愉快なことではないなと思う。/そんなところです。少しだけは特定の記憶が固着されたような気がします。

この世にあってよかったものランキング

窓開けて寝てたらなつかしくて死にたくなりながらも爽やかな感触の夢を見た。/仕事する。やはり昨日よりは調子がよい。ちょっとかなりこのところ調子が崩れすぎ、もう会社に二度と行けないような精神状態なのではないか、とか思わせるくらいになってきていたので、今日は意識して、なるだけ出社しているときに近いような形で存在することを心掛けた。当たり前のことなのだが。なんやかんや、作業用BGMを聴きながらやるとか器用で優雅なことはやはりあまり向いていないのだ。/いつ出社するかわからない、そのタイミングを色々な事情を鑑みて自分で判断しなければいけない、その事情のひとつに確実に向き合っていかないといけないことなどの不安があったが、対応期間と範囲を明確にして、消化できるぶんだけ時間をかけずに消化した。/定時くらいで作業終えて、そこからその考えることを考えて行動1を実行して、勉強会を視聴した。その後は昨日買ったばかりのチケットを携えていそいそと喫茶店に向かった。ちょっと張り切りすぎな店員の気迫に度肝を抜かれながらも、ノルマを消化する。帰る。少しだけ視界が明るい気がした。/明日も法則により調子悪いんでしょうか。勘弁してほしい。ただでさえ暗くしかなりようがない背景なのに。/まあ最初から終わっていることを思い出してどろどろに溶けた中から飛び出すようなイメージしかモチベーションを保ちようが、夢の見ようがないことを思い出してやっていきます。

アイボンがこの世にあってよかった

そういう言葉を聞いたのもあって、興味本位で、まあまだやったことないしな、と思って、アイボンの隣にあるロートが出している類似品「ロートフラッシュ」に手を出して、昨日の夜やったのだった。10秒以上しないように、と書いてあったが、10秒というのは適当に数えてみたところでは非常に一瞬で、全然まだ洗い足りない気がした。/しかしなんか今日はそのせいで頭が痛くなっていたような気がした。因果が存在するのかは分からないが、左目が痛くてそれに伴って頭痛がある、という感覚が確かにあった。/そんなこんなで痛いし寒いし、いつものように外出を遅れさせられていたが、今日は返却期限日だったので、ある程度のところですっと家を飛び出した。着いて、カフェのところにケーキ全品100円という貼り紙を発見して、心が落ち着かなかったので一度図書館の中へ入っていった。貼り紙と心も、別にその要因だけではないのだがなあ、と思いつつも、それで説明がつくだけのことだったらよいのだが、と思いつつ、ぐるっと館内を回ると、なにやら人が多い感じがする。人々がわらわらと出てきているんだ。本を返して、とりあえずの目的は達成する。カフェに戻ってもう一度店頭の掲示物や店内を詳しく見ている。ケーキの陳列されているショーケースの上に、「ケーキ全品100円引き」の文字を見つける。ん?これはさっき見たのとは別の紙だった。確かにさっきのは引きが無かった気がしたのだが。別に確認することもせず、第一落ち着かなくなったのは、大して腹が減っているわけではないがせっかくだから食うべきではとかいう思考が生じたからであって、コーヒーだけ買って席に着いた。若干の密感を感じる席の距離。女性たちが談笑しているところを越えて、窓に面した席に腰掛ける。閉店まで1時間ほどしか残されていないが、勉強する。/女性たちは統合失調症やら認知症やら、ということを具体的なエピソードを元に話されていた。イヤホンをするのもいいですけど、赤の他人のこういう生っぽい生の会話を脳みそに放り込むのも、自分の中のバランスを保つ行為として、ありなのではないか、そのために外へ出ているようなものでもあるよなと思う。/しかしまあ頭が痛くてよくない。進捗も思わしくない。ちゃんと頭が働いているとは言えない。方々が退場されてまだ20分ぐらい猶予があって、そこからまたイヤホンを外してやったが、うーん。時間が来たので自らも退場。/もしかしたら?と思って歩いていくと、いつも満席の学習コーナーにぽつぽつと空席ができている。へぇ、と思いながらまた少しうろうろして、結局席に着いた。席について学習したものの、やはりあまり集中できなかったので、早々に退場した。外へ出ると、ほんの少しづつ頭痛がやわらぎ始めた。この瞬間は結構気持ちがよい。浄化と呼ぼうと思う。浄化されつつ帰りつつ弁当屋を追い返されつつコンビニで弁当買いつつ帰っていった。/夜。仮想midiキーボードというPCのキーボードで演奏可能なキーボードを用いて「千のナイフ」を練習した。思ったよりは弾けるけど、はたしてこれがミスなく普通に弾けるレベルまで到達するのか、練習するのかな。DAWでキーボードのウィンドウがアクティブになっているときしか音が出ないので、ブラウザやiTunesで曲を流しながらやるのが難しいという面倒くささはあるが、基本的には、ギターやベースや、仮想のmidiキーボード(今は持っていないという意味)を引っ張り出してきて弾くよりはだいぶんと手軽な気がする。やっていきたい。

白鶴

目覚める。比較的クリアだった。お酒も飲んだりした割には。/昨日は非常に最悪だったので、今日はその反動としてわりかしフラットで安定した気持ちを持つことができていた。今年になってこんなんばっか。まあまあまあ。/業務を開始したら、昨日最悪な気持ちになりながら夜10時くらいに送信した結果が返ってきていて、思ったよりよいものだったので気持ちがよろしくなった。そんな感じでそれなりの仕事をして、諸々終えて、家を飛び出した。/日、月、水、金と4回目のコメダに来ていた。なぜそんなことをしているか?資格試験が近いからである。とりあえず行きさえすれば、なんやかんや家では考えられない時間と集中が得られるから、金がかかるのを一旦あまり惜しまずにボタンを押し続けているような感じ。ミルクティーという飲み物(ミルクティーという名前ではなかった)と、マルーンという謎の食べ物(確かにマルーンという名前だった)を注文して摂って、3時間くらいいた。金曜だと人多いんかねと思いつつ恐る恐る入っていったのだが、幸いにして自分の目的としていたゾーンにはそれほどおらなかったので事なきを得た。なんか嫌な感じの声で嫌な感じのことを話している男子学生の集団がおり、それはあまり事なきを得ていなかったのだが、1時間か2時間くらいしたくらいのタイミングで立ち退いていったので、事なきを得た。他には、ありがとう、とたくさん言っている女性とその相棒とかがいたのを覚えている。/帰り道、ひょっとしてこのボタンを学生時代から押すことを知っていたら、それだけで色んなことがもっと好ましい方向に行ったんじゃないか、とかいちいちに思わされてしまうのだが、まあそんなことは本当にどうでもよい。マルーン。ええやんええやん。/帰り道2、自身の感染予防には入店時より退店時のほうが重要な気がしたがやっていなかったなというのも思って、そちらのほうがまだどうでもよくないことだった。/土日の予定、とりあえず図書館は行くのと、やはりまだ試験勉強も十分とはいえない量なので、それを学生の気分でちゃんとやろうと思う。テスト2週間前です。このくらいなら、影を見ることは正しいのかもしれないと思う。

8

今日は精神の調子は悪くなかったように思う。仕事を終えた19時以降は特にもう昨日の暗さと対照的、といっていいくらいには。

どのようにしてそのようになっていったか。朝は作業環境を整えた。テキストエディタだけダークテーマだったのをライト系にしたり壁紙をwindowsXPの草原にしたりとか。そんなこと勤務時間中にやってええのか、というような疑問はあったが、昨日ドブに捨てた時間を思えば、今後の改善になるかもしれないこれは、全然合理的な範囲のことに思えた。結果的にはそれがうまくはまって、新しい環境はしだいに精神に安定をもたらしてきた。

作業自体としては、相変わらず返ってくるべきものが帰ってこず、何をしたらいいか、わからないなかでどのようにしたらいいかは悩ましい問題として頭の上をうるさく飛び回っていたが、ある程度のところで見切りをつけて、長い目で行動を決定することにした。最終的にはチーム内で相談してその中では問題ないかなというところに落ち着けられた。詰まり気味だった成果物自体も、一端最初から作り直すような形で再構築することにより、おそらくの完成まで持って行くことができた。そのようにすることで、脳が正常に動いてくれた。なかなか、途中から考えて足りない部分を補完していくというのは全体像が見えにくくなり非常に難しい。足りないことがわかったら、それを知った状態で、明確にしたうえで考慮に入れて、一から構築し直すのがよいみたい。追加の程度にもよるのかもしれないが。あとは、ためらいながらも作業用ラジオとか聞きながら作業した。もう、それくらいでもいいんじゃないかと。気持ちが終わって完全に頭が回らず何もできなくなって止まる、というのが一番恐ろしい。気持ちがまだ生きていたならば、どうにかその時点からそれなりの手を打ってどうにか切り抜けていくということができる気がする。

終わってから銀行と買い物に行って帰ってきて、再び出てコメダへ行った。豆乳オレを頼むのは1年半ぶり2回目くらいだったと思うけど、まああんまり味はしないものだった。そうかな、とうっすら思っていたらしっかりそうだった。まあいい。それで豆も食うのだが、まあいい。昨日できなかったのは計画を外れているが、今日の分の進捗としては問題ない。繰り返しによって分かった結果が少しだけ安心をもたらしつつある。

調子が悪いとそれなりに反動が生まれるようになった、というか、明確な低迷に対してはそこから上昇へ向かう癖、みたいのをしばしば見れるようになった。土曜日一人で意味もなく飲んだお酒で日曜日に二日酔いで死んでいて、だけれどもそこから明晰を取り戻していく過程とか。そういうものも、なんとなくだけど知れているというのは、悪くないことのように思えるがどうなんだろう。そんなところです。明日悪くなる理由は全然あるようにおもいます。

マッハ

清くなりたいなあ。清くなるのだとしたら、本当のことを言うべきだが、本当のことというのはなかなかいつも汚らしいというか、下らないというか。それって自分が求めている清さなのかなあ。その場所から、本当に清くなんてなりようがあるのかなあ。まあそれでも、ほんのわずかでも汚さを免れることができるのなら、いくらでも汚くなる覚悟が必要なのかもしれん。/何が清くないのか。なぜ言いたくもないことを言うに至るのか。よくわからないので、とりあえずは適当にごまかして近い話をするくらいしかできない。人のありようというのはよくわからない。/まあ清さをもう少しシンプルにとらえるような横暴が、もといは自由があったほうが、精神は自由であれる気がする。そう、変にこみいって呪いを増やすのって、清くないと思うよ。それについては、自分の学生時代の経験から言うことができる気がする。どんな帰納法ですか、という感じがするけども。そう考えるとするならば、といって今本当に考えているだけであるが、そう、じゃあ昔はどうすればそうならなかったのかというとよくわからなくて、そこに立ってその風景を見て動いた自然現象ということで。少しは自然に逆らう自然を生み出さないといけないのかもしれない。何も解決していない思考です。/何が今問題かといったら、全然仕事に集中できていないことだろうか。不確定な状況に弱いところが多分に出ている。会社にいてそこに置かれているのとはまた違った方向に。それが多分清くないと思わせられる原因だ。つらいとか不適合とか未熟とか、単にそういうことを思わされるだけなら、ここまで清くないという方向に気持ちが伸びてくることはないと思う。/自分を許せない、というとなんだか清い人の発言のような気がするけれども、実際のところそうではない気がする。呪いを増やしていることをどう好意的にとらえたらいいのか、本当にわかりようがないからな。/まあそれでも、志向するところとしては、シンプルに生存を考えることくらいかなあ。その正しさを持っていられるのなら、とか。よくわからんなってきました。元気にやっていきたいです。