とりあえず僕が卑近な想像で辿った方向性はあまり合っていなかったというか、完遂できなかったので、これからの生活で何をしようかどんな方向性を新たに打ち出していこうかというのを考える。
とりあえず僕は人との関わりが薄い。かろうじて参加していたサークルの追いコンに行こうかどうか迷っている。一緒にバンドを組んでもらった4回生も少なからずいるので、行ったほうがいいのだろうが、、、。もともと個人的には趣味を深めようと入っていたサークルだったが、どうもなかなかざっくり言うと馴染めなくて、その中にいる時間が居心地が悪いものだったのが思い出される。
人との出会いを大切にしなければ、と最近思うことは多い。でもどうも住み分けというか、あんまり自分のような異分子というか、いるべきじゃないと思ったり、先述のように単に楽しくないのにそこにこだわるべきではないのではとも思ったりする。楽しくないというか、人に会うことや集団に属していることの緊張で、楽しいという感情が浮かぶ余裕がない。
僕にとってツイッターは僅かに人との繋がりを予見させるものではあったけれど、人が減ってる。ツイッターの終焉ってそしたらインターネットはどこに向かうの?こわくない?という素朴な疑問は置いておいて、今は自分自身の問題。
趣味でつながる、というイメージは僕の中にまあ安易にあって、でもそれでもサークルには馴染めなかったし、そのことによって強められた別の方向性は今までの自分の生き方との乖離が大きすぎて今回失敗した。
2つとも失敗の原因は方向性そのもの及びそれと僕との相性だけにあるとは思えないが、もう少し変えたほうがだらだら続けるより状況は変わるだろう。
書きたいと思っていたことが書きたくなくなってきたのでひとまず終わり
タイトルの意味まで辿りつけなかった
ツイッターからわずかにアクセスがあることはわかっているんだけど、どんな気持ちで見ているんだろう。唐突に、乙一の「小生物語」を思い出してあんなブログを書いてみたいなと思ったけどそんなに覚えていない。他にもエッセイとか読んでみてそれとなく面白い感じの文章を書くことを学んでみたいと思った。想起した。嬉しい。
突然に「嬉しい」とか「楽しい」とか後ろに付けたくなるのは「生きているよりマシさ」の影響なのかな。それだけじゃないような気もする。
syrup16g - 生きているよりマシさ (MV) - YouTube
Cメロあたりの歌詞が特に個人的に思い起こされるものがあって、この感覚は初めてシロップ聴いた時に少し似てた。自分自身とシロップの歌詞に関連したちょっとした考察があるんだけどあまりにも勝手というか自分本位なものなので書かない。HURTは最近になってようやく買ったんだけど結局この曲が一番好きっぽい。
*数分後追記(そのときツイートしようとしたがこちらに書いたほうがいいと思った)
同族を探したい気持ちがあるけどそこまで積極的に弱さや甘えを晒すのは本意ではない。適当に素直に書いてたら自分のような人はとりあえず適当に面白いって思うんじゃないかなという考えはある。ツイッターに変なことを書かないぶん、かえって人への害は少なくなるはず。