いつも自我が遅くて手遅れになることしかない。
//そんな感じで今はやたらと、友達がいる人が羨ましく思えてしまう。
ないならないで、いい気がするのだ。そういう人だとということでやっていけば。
試みて、手が届くかどうかわからないものばかりなのに、そもそも試みるという発想が無ければ、絶対に勝てない。負けた結果だけを知る。
いやもはや、これは僕の精神の構造が、何かそれよりもっとひどい結果を避けるために、そういう風にできているのかもしれない。知っていても知らないことにしているのかもしれない。知覚を疑わなければいけない。それももし、ほんとに何もそんな交錯は無いとしたら。それはそれで、不思議なこともあるもんだねえ。
まだ若いと思うけど。発想が降ってきてもやる気やなんやが降ってくるわけでもない、って甘えるばっかりもつまらない。ん、やっぱり何かを避ける斥力が働いている気がする。今日も何もできない。
ふとしたことで、今まで当たり前にやっていた授業やバイトもなにも手がつかなくなる。今日は結構危なかった。さっきの何もできないというのは積極的なことについてで、本当にこういうとこまで何もできなくなりそうだから、低空飛行に甘んじる。
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もう少し、自分の好きなものに向き合って生きていたいのに、悲しいかな、自分の精神が自分の嫌いなものに一番まみれている。こんなドブみたいなものをぶらさげて好きな人たちに向かえるというのか。どんなだ。