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raingoesup

「中高生のときやりたかったブログを今やる」

見ゆ

自分を見るというのは今ここで言うには、他人の視点を持つことなのですが、それは絶え間ない努力を必要とするかあるいは鍛錬により呼吸のようにできるよう になるか意識せずにできてしまうか。あんまりできないと病気ということになってしまうんでしょうか。僕は一つ殻を破る、というよりも殻が腐って爛れ落ちたときに、どうしようもなく欠落していた視点を思い知るばかりなのですよ。そういうたいへん恐ろしいこともすっかり一般化してしまえるのが大人なんでしょうか。例えばこの常に疑問符が付くような喋り方も決して現実と乖離したものではなく、どうしようもなく教えて欲しい子供のような喋り方をしばしばしてしまうことも、異常性を持って見えてはいるものの、治らないので呆れるところです。それを相手が知っているかどうかもう少し考えて言ってみたらどうなんだ。こんなことを文末に晒すことは僕は恥ずかしくて耐えられないので長引かせてお茶を濁すのだが、その行為も私はちゃんと見えているのでしょうか。こんなものはさすがに言わなければ滅多に他人からは見えるものではないだろう。他人の視点は曖昧で難しい。

 

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昨日はthe novembersをきいてて、今日はバッハとYo La TengoDon Caballeroをきいてました。

 

このところ遭遇するこの忙しさは割に心地良い。微妙に色々取り逃してるものも多いのだけれど、忘れさせてくれる流れはとても魅力的だ。