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raingoesup

「中高生のときやりたかったブログを今やる」

蓮の葉に乗って

明日はとても寒いようなので家に籠ってインタアネット、で買ったズボンの裾上げでもしようかしら。少し長いのを誤魔化しながらずっと穿いているから。

なんでもできるからね。

 

12月にライブに出る予定がなくなった。それを目標に高温な気体分子のように色々動いていたのだけれど。

大幅に遅ればせながら自我を持って、学んで、諦めて、初めてやっと見えた価値観から来たのは焦りだった。そうそうサークルには同期が少ないし後輩もいないから残されたあれはあれなんだよ。

それはどうでもいいとして。

 

割と最近は本当にもうちょっと身なりに気を遣いたい、というか気を悩ませるだけではだめで普通に納得のいくものにしないとという気持ちも強まってきていて、それでもやっぱり服屋の前を通り過ぎるから、ならいっそここは人と喋らない=なんでもできる範疇に取り込むべきではというわけ。いや、今までにも少しはやっていたけれど、量と体制の問題。

 

いろんなこと、風呂に入って考えてるときは比較的自信にまみれてる。混雑したバスに一人で立って乗っているときにはすべてがだめ。

話がそれるなあ。言いたいことはちょっとずつその辺に散らばっているようだ。

 

自信にまみれて考えているときには本当に自分が変でも確たる存在として存在できるという気持ちが強くて、全部完璧にできてしまう自分像が生まれていたりする。完璧のハードルはあくまで当社基準なので本当は大したことでもないですが。

 

人と関わりがなく頭の悪い人間は本当にどうでもいいことに対して色々ぐちゃぐちゃやっているのだなと薄ら寒く感じるかあるいは自分はこれよりはましだなとか思ったり本当に共感めいてみたり、それがこれみたいなブログの薄い意義めいたものなんじゃないかと思う。

 

自分の形がわからなくなる感覚は心地よい。いつまでもそれに浸っていられると思っていた部分はなきにしもあらず。けれどなんとなく人と過ごす時間は必要でその中ではそれなりに形状をいい感じに保たないといけないだろう。