今日は京都へ行きました
ギターを買いました
もう少し高いものを弾いてとてもよいと思ったけれど買いませんでした
すぐに後悔がこみ上げてきたのですが、もうこれは語ることも良しとしないでおきましょう
本当に胸に秘めておいたほうがいい
研究室事件くらいでいいんです
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調整してもらってる間に、鴨川へ行った
佇んでいると知らないおじさんに「道を聞きたい」と声をかけられて、静岡県伊東市まで歩いていくとどのくらいかかるか、クソガキに財布と携帯をとられた、家の番号はわからない、在来線で行くといくらか、2倍で返すから金を貸してくれないかと言われた
会話が欲しいと思っていたタイミングだったが果たしてこれはどうなんでしょう
適当に話を聞いて、持ち合わせがないからと断ると去っていった
自分がこの場から先に去るのは負けた気がして嫌なので粘ったのだった
しばらくどこへ行くのか他の人に声をかけるのかと目で追っていたが川の風景のほうが魅力的だったのか、途中で見失った
鴨の写真を撮って帰った
京都にはこうやってたまに来たいものだ
敷居が高く感じられて入れないとしても、町並みに慣れ親しむだけでいいんじゃないかな
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家に帰ってバイト
ギター弾いてたら弦落ちしてきて、まあジャズマスターだし仕方ないかな
アーム使ったらチューニングがばかみたいに狂って、まあジャズマスターだし仕方ないかな
弦張りたてなのが悪いんだと思ってテンションかけてったら謎に弦がびびりだして、まあジャズマスターだし
弦高を上げようとネジを回したら変なところで干渉が起きて、まあジャズマスター.......
返品できないかな
とか思っていたけれどブリッジを外したら構造が分かってそれの高さを変えることでなんとか持ち直したので本当に安心した
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まあもうわざわざ言うことでもないかもしれないのだけれど、弦落ちのこととかもう少し店員に話が出た段階で聞いておけばよかったと思う
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高いギターを買わなかったのは自分の収入形態が特殊なことが影響している
普通を目指すとかかっこよく生きるとかそういうことを意識してもしんどくなるばかりだから、ひたすら現状を常に受け入れることが自分にとって必要なことだと思う
これしかないのだ、やったことに関しては。
それでも私はいくらでも幸せになることができていいと思うから、ただ祈りを時間に変えて紡いでいく。