犬の散歩で通りかかった神社の灯篭やマツの木がみちびく淡い青色の空の陰とか、三叉路の傍にいつからそこにあるかわからない木造の納屋とか、そういうものだけで本当に僕は満足してしまっていて、もはやそれを更新することができないというのが僕の人生だった。
それでも見知らぬ風景を見つけたなら確かな感動を新しく得るのだが、それさえ追体験に過ぎないのではないかという邪念に駆られる。
それを振り払うように、雑多に目の回る生活の隙間をそのような体験で満たすことができたなら、かつてない本物の時間が残るはずなのだけれど、果たして。
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そんなわけで、多分激しさや暗さなんて感情はもうそれほど必要なくて、それでいいはずなのだ。
騒音にまみれていつも勘違いをしてしまうけれど、それでいいはずなのだ。