raingoesup

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日記

意味のわからない忘れ方をしている。生活に対する集中が途切れすぎている。この時間をこそ最も恐れるべきであり、過去に積もった恐れはなんと呼べばいいのか。

私が接触を求めている。これが無駄なこととは思えない。本質がここにある。本質との乖離を過ごしている?今以外の本質があるだろうか。今でないならばそれは本質どころではなくただの嘘になる。嘘をつき続けて生きているという比喩が似合う。

私はもう少しだけ現実を見る必要がある。これは本質から乖離しないための必要条件だと考えられる。現実の定義は?小一時間考えるので待って欲しい。

結局よくわからなかった。今というのを考えると、これはその時々でしなければいけないことは、タスクの選択と実行だから、これで話を進める。

苦痛ではないと証明されたことをためらうのは何故かというと、迷っていたり他のタスクの優先度が高かったりするからだ。迷っているというのは優先度が不明ということだから、これは早急に解決しなければ止まってしまう。この身体にはあいにく止まってしまったときのエラー措置がプログラムされていない。これは今は「脳の活動を声に出す」あたりにしておくとして、優先度の処理だ。優先度不明な事項が複数ある場合は、それらを一定時間ずつこなして判定するか、判定のためのタスクを新たに設けるのが適切だと思うけれど、後者は難しい気がするから、身体を止めないためには前者の原始的なアルゴリズムに頼ることも必要というわけだ。現実=今=本質であり、それを構成する意識は評価関数の塊。評価関数が不安定かつ狂いまくっているから幸せもよくわからない。幸せになりたいことと矛盾する価値決定をする。矛盾の塊になってるわけなんです。これが現実なんです。矛盾を正すことがまずは真っ当な人間になるということになると思うよ。

だんだんしんどくなってきたからまた甘えると、仮に矛盾が無くなっていって完璧になっていったとしても、そのうちの一つが誤りであったならば、たちまちすべてが崩壊する。これを避けるために、突然変異やランダム探索もまた必要なことだろう。

評価関数に従い書くのをやめた。今はこの文章をまとめるよりも重要なことがあります。