raingoesup

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一つ一つ虫を殺すように大人になっていく

こともなく最近は特に何も考えていない。

平日はしっかり研究をして、土日は休むという生活をしてみようかなとか、もうすぐ出ると決まっているライブだけれど準備してないなとか、着る服あんまりないし買いに行くかとか、金は無いけどできればこのままのペースで行きたいなあとか。そういうものぐらい。

 

今日は先に述べたように「休む」ぐらいだったので映画(『ダイ・ハード』)を見たりドラムの採譜をしたりゲームの動画を見たりして過ごした。

 

コンテンツに触れて、その世界に没入するような感覚は歳をとるにつれて無くなってきた。その没入というものには、作品に触れると自動的に自分の中に無意識的な妄想が構築されるような感覚をともなっていたように思う。その感覚を含めて、「感じる」ということが受動的に生起されなくなった。

なぜか。感動の中心たるべきところではない場所で些細なことが気になってしまって冷めてしまっているのかもしれないと思う。

 

反対に、わからなかったものがわかることによって、面白いと感じる機会自体は増えている気がする。けれど常にどこかは冷めている。

 

もう諦めて、見え始めた別の楽しみ方に完全にシフトするべきなのかもしれない。けれど、癖のように試みる。

間違っている気がする。どう楽しもうが間違いではないのだろうけれど、その感触にこだわって、却って思考が阻害されたり時間が空費されることは本意ではない。

 

何も考えていないことについて書くつもりだったけれど、話がそれた。けれどこれも少しは関係があると思うから、悪くはない。