raingoesup

「中高生のときやりたかったブログを今やる」

ディスコミュニケーション

意味の無い会話が意味無いと思っていると本当に意味がなくなってしまうのだけれどそれは誤りで、それなりには意味はこじつけないといけないのだった。

形式化された問答にとらわれたり、何か自分に非があると必要以上に下手に出たり、そういうことによって常に意味は殺されてきた。何も思わないなら話す必要もないのに。

話す必要がある。生きる意味と同じくらいには無意味にも「ある」。

 

何が言いたいかというと失敗したコミュニケーションを記憶、反省して次に繋げたいということだった。

_さん・・・よく話しかけてもらうものの、思ったよりよくわからない。発言意図はまだしも、言っている内容を理解していないのにそれを突っ込んで聞かないのはよくないし、この人にはちゃんと聞いて理解することを重視する。

 

_さん・・・貴重な同分野の先輩なので一番仲良くしたい。一緒にいる時間が長い分、無意識に出る自分の悪い部分には気をつける必要がある。とりあえず、言われたことを逃さずに理解して行動に繋げる。この人においては行動が重要。

 

_・・・部屋を出るとき、わたしが大きめの声で「お疲れさまです」という前に、「おつかれ」と言ってくれたのだけれど、個別に対応せずその大きめの「お疲れさまです」だけで済ましてしまった。形式にとらわれた悪い例といえる。

 

_くん・・・接し方がまだわからない。うなずいてくれたり、前よりはつかみどころがある感じはする。(彼くらいの歳の頃の)自分に近いタイプのように思うし、他人よりは少しだけわかっている(ような気がする)自分には、もっと良い形態が考えつくべきなんじゃないか。