raingoesup

「中高生のときやりたかったブログを今やる」

あるんですね

まあまた何も考えずに再開してみるくらいがいいか。

ブラウザの拡大縮小ツールを使うとこのエディタの文字も変わることに気付いた。どの大きさで書くのがいいのか。卒論のときも、ワードの表示サイズの設定を変えると勝手が変わったのが思い出される。一文一文の濃度が、文字を大きくした状態ではより大きくなっている気がする。きめ細やかであるのはいいんだが、しかしもうすこしあっさりと淡々としていてほしいことも多くて、そういうときは小さくするのが望ましい。前のブログテーマが文字小さめで、そういう淡白な味わいを意識したものだった。今は110%の設定で、ブログページよりもかなり大きめで書いていますが、その結果は更新されてから見てみないとわかりませんね。そんなに書いていないはずなのにもうすでに画面が文字で埋まっていて、実のない達成感を得られるという意味では良いっぽい。中学校のときは英単語をひたすら書いて覚えていて、ノートの上から下までを埋めて黒い壁を作るのが好きだったからそう、やった感触をゴシック太字に強調したようなものを摂取したがる生き物なんだ。そういうものを積み重ねることで強くなったと思えている。それは形がはっきりとしていて凛とした面持ちのもののほうがよいらしくて、最近はギターの譜面をかっこよく書いて捗ろうと営んでいる。

本当はもうそんなにやりたくもないのか。完全に一人になってしまいたいという気持ちは常に起こる。人の中で生きるのはやめて、最低限の社会性を残したまま特殊な生物に。そこまで極端なのはたまにしかないので今のは間違いだったが、確かにそういう種類の気持ちが常に、現実的な選択肢としてある。そういう選択肢を提示している精神がもう異常なんですか?結局何をなすこともできず、友人と過ごしたり趣味を極めたりすることもできなかった4年間。いやでも、始まりが異常だったところから何を求めるでもないはずなんだ。一度死んでいるようなもので、十分に好転しているといえる。選択肢はあったとしても今は選ばずに、まだ少しだけ違う実験を試みることで間を持たすことができる気がしてきた。