raingoesup

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最悪なのは自分の精神状態なのかそれとも過去の真実なのか。自責をしたところで仕方がなくて具体的な方法を考えるほうが効果があるというのはさっき読んだ文章から学んだことだが、気付いていなかったとしたら手の打ちようもないし、忘れてしまっても同様だから、定期的につきつけないといけないのは確か。

認めたくない怖さなのか現実的な怖さなのか。

 

なんだか意味のないことを言っているような気がしてきてたので中断する。適当な構文で書くことによって、思考が成立しているような錯覚を味わっているだけじゃないのか?

 

(こうも自分の感覚を疑うのは、さっき全然人でないものが随分と長い時間人に見えてしまうという体験をしたからだ。)

 

本当のところ、その人が文を生成した意味なんて読み取れるはずもないし、全部の思考自体そういうものなんじゃないか。

自分の足りない知能の構造とその欠陥を考えていくうちになんだか頭が狂ってきている感がある。自分が何であるかわからない。当たり前のことだ。しかし時系列的にいうとその思考よりも先に、この事象は構造的な欠陥じゃないかという感想がきた。それは「欠陥じゃないかとキレそうになった」とか書くと面白いと思ったからだと思う。この場合どのような順序で思考が行われたのかどんな論理なのか。考えるのはやめておこう、面倒だしそこまでは時間無い。こうして重要なものが取り残されていく。現在に至る。

 

なるほど、根源から病理を理解するより、大きな紙の中心に「生存」とか「打開」とか書いて360度展開していくことだけが「生存」や「打開」の方法なんだと思う。しかしそれも、もとは「生存」とかから伸びてる枝の末端だったと思うんだけどな。

 

おそらく遠すぎて見えなくなった時点で消滅するんだ。部屋の奥底と同じように。

 

なんとなく可視化できる程度の思考構造を認識して、それで戦っていくしかないんだ。能力や評価も数値化されたものを指標に自己を定義するしかない。言葉や声色や表情なども指標として主流なんだろうと思うけど、どうもうまくマッピングできている気がしないし、センサ部にもどうも信用がおけない。

 

中断