raingoesup

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悲しみの果てに石

疲れて早く寝た。まあ普通の時間、というか、自分の休日としては早い部類に入る時刻に起きる。夕方の業務はまた時間が変更になる。その業務の前の時間というのは、何ができるでもないので、ただ平日から遊離した時空を堪能することぐらいしか目的を持ってこうどうすることができなくて、結局普段よりも荒々しい勢いで、いつ死ぬかわからないしあと何回食べれるかわからないからという謎の気持ちも片隅に発生させつつ味の濃いお菓子など食べながら、生配信のアーカイブを見たりして過ごしていた。いつも大体この流れ。業務は、最初はよくない流れだったが、最終的にはまあ納得のいく内容となった。

晩飯後に湯葉を作る。湯葉を作ったこと、ありますか。僕も一昨日までは無かったんだけれども。きっかけは「絹かけ丼」を見ていつか作ってみたいと思っていて、とりあえず外堀を埋める感じで湯葉だけでも製法を実践し確かなものにしておきたいということで、昨日の帰りに無調整豆乳を買ってきた。昨日今日と結局2回ほど試してみたが、とにかく時間がかかる割にできる量が少なすぎるという感想は、この先も変わることがないだろうなと思った。独特のギュニュ、という触感には目をみはるものがある(食べながら目つきをヤバくしているのか?)が、俺の中で果たしてどれだけ市民権を得られるだろうか。無調整豆乳はそのまま飲んでもさほど美味しくないのでまた作ることになるのかな?少なくとも、無調整豆乳の素朴な味<ギュニュ、という不等式は既に出来上がってしまっている感があるので、そういうことになりそうだが、開封してからそんなに持つものでもないだろうし、今この忙しい状況でそれをするかと問われると、多分しないと思う。なのでなんとなく消費されないそれの行く末に対する思いだけが、わだかまって一時的にメモリを食うことになっているんだけど、多分、というか今現在結構どうでもよくなってて、むしろ記憶の中の素朴な味が醸成されていたりして、多分そのまま飲むんだろうな、大丈夫だということで、句点を待たずして開放されました。いいですね。