raingoesup

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断ってしまったけれど、その数秒後には、それこそが自分が理想的に収まれる場所なのだったと思った。何にも存在していないように見えて、やっぱり思考の核はあって、けれどもそれが全然隠されていて、失うような大きな衝撃によってのみ明らかにされる。

全く嫌になる。こんなことばかり24年もやっていて救いがない。他人に悪意を向けられて失敗することなんて全く無く、ただ自分の不完全な性質で、勝手に落ち込んだりなんやりしている。次なんてもうなくて、ただそれは虚しい気持ちと大きな違和感を残したまま、何かやっていかないといけない。気の持ちようでも、それに関することはもうどうしようもない。だからこそ考える必要はないと言い聞かせるのだけれど、そんなに何度も、無理矢理納得できなくて心身にただ歪みが蓄積されて醜くなっていく。醜くなるのは端的に言ってつらいです。そこには明らかに、今後ずっとつきまとう不可逆の変化があるわけだし。

くだらない悩みです。でも十分醜くなるんです。元々自分の中にあった醜さがだんだん表出していると捉えたほうが正確かもしれない。昔からどうしようもなく歪んでいたのだから。

そう気負わなくていい。もうとうに死んでる。それでもゆるやかな希望を見かけて、もしかするといやきっとと、イメージを膨らませて、意味不明のきっかけで絶って、結局落ち込む。無理な話らしい。気負わないことすらも。

それはそういうものだ。仕方ない。楽しんでやっていきましょう。