raingoesup

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2020/07/05

以下、例によって不調記なのでおもしろくありません。

起きて納豆を食べる。何をすればよいかわからないまま4時くらいまでになって、とりあえず出かけようとするも、段取りがものすごく悪くて時間がかかる。自転車置き場は6月で契約が切れていて、それも迷わす一因となる。調子が悪いとそんなことで。同じことで少しも悩みたくないので、通勤には使わなくなっているけれど3か月、契約する。なんか離れた位置の置き場になった。

 

電車に乗って、乗り換える駅につく。そのまま徘徊することにした。とりあえず歩きたいと思ったほう、その先の風景を見たいと思ったほうに、できるだけ歩いていく。思ったより歩くのに適していたと思う。不審かと思われたが写真もとった。県をまたいだ。日が落ちかけの時間、見晴らしのいいローソンにも入り、広めのイートインでなんとなくからあげ食べたりもした。悪くない時間だったと思う。その後も徘徊。知らん駅に到達して、帰る。途中の駅でまた降りてうろうろして。どこで食べるか迷っていた。結局王将に入って中華飯(はん)と小さいビール。店内は殺伐としていて、けれども松屋とかよりはシステマティックでないところはあまり好きではないかもなあ。あえて言うならば。まあ別になんでもいい。結構量が多くて、暑くなった。気温が中途半端でなかなか過ごしにくいというのは今日を通じて感じた。山を歩いているときはまあまあ良い感じだったのだけれど。そういえば山で飲んだスコールの青いやつがすごく美味しく感じたな。ジュースは控えたほうがよい、ということだったけれど。ただでさえ動けないのにそういう中途半端な制限や罪悪感を付加してしまうというのは、あまり好ましいとはいえない、というか嫌だ。面倒臭いことをこれ以上増やしたくない。

 

今日の旅の話はそれくらいにして。不調についても述べなければいけない。かなり現実から逃避する方向に精神が向きを変えがちである。なぜか。思うに楽しくないのかなあ。何事も楽しまなければつらいよ、と言うのだけど、何も見ようとしない。明晰がない。方法がわからない。何をすべきか、何をしたいかがわからないらしい。

 

とりあえず今は3か月、会社組織に所属して。いつでも全然破綻しそうだし、ひょっとしたら今がその動きの中にあるのかもしれないとさえ思える。大人であることとか、現実に生きていることとか、あまり受け入れられていないような。

 

何がしたいのか。今日みたいなことは、何もせず家にいるよりはよい気がするけれど、かといってそれがこの先もできれば幸福かというと別にそうでもないと思う。結局虚しい行為であることを覆すほどの何かを自分で有効化することはできていない。

 

誰にも伝えることができないし、どうしようもないということがはっきりわかったこと。それが最近の。

 

文章を書いても何も整理するという構えにすらならないし、ここらで切り上げる。みんなはちゃんとやってますか。ちゃんとなりますか。変になったことありますか。まあ自分のつらさは自分だけのものなんですよね。

 

ここで急に苦しんでいる自分を俯瞰する目玉が登場する。明日行きたくない、というよりも無理というイメージや考えたくもないという気持ちに塗りつぶされているんですか。ここからもよく見えない。好きなものありますか。

 

明日ちゃんとできるかな。