raingoesup

「」

2022_06_19

もう少し、どうにかして思考を線の上に置いたままにしたい。

友達と会って京都へ帰ってきて仕事用の服を買って整髪剤を買って、本屋の棚の前ですこしだけそれと相互作用しながら考えて、この勉強を、これを作るということを、今後やっていこうという気持ちになって、最寄りまで帰ってきて、何故か自転車がパンクしていて、財布を会社に置き忘れてきたせいで未納になっていた散髪代金を払いに行って、たくさんの荷物をのせて暑い中手で押して帰ってきて、自転車を直してもらって、少し部屋を片付けて。そっからそこまでの区間というのはこうしてみてみると自分としてはそこそこ良いものに感じられる。要所要所に残念なポイントがあったとしても、大きな流れに沿っているので全体として悪くないと。

こうやってその悪くないところをとりあえず書き出してみたけれども、それが今後もこれやっていけることの十分条件ではないと感じている。

もう少しディティールもいる気がする。何を感じたか?友達と会って、やはりあまり上手くは話せなくて、もっと深くて長い話をすることができるかもとうっすら期待していたほどではなかった(この言葉も本当にそれが表したいものを表しているかはよくわからなくて、というこういう感情は最近またしばしば感じる、だから思考のキーの一軸ではあると思う)のだけれど、ともあれ共感できることや少し以外だったりしたものを同時に取り込んで、時間を共有して、そういうことがまた少しだけ自分が色々な場所に行ったり身なりを整えたりすることにつながっていて、それは良いことだったと思う、というのは割と今自分が認識していたい、書きたいことなんじゃないかな。

そんなこところ、なのかなあ。まあでも明日には何も上手くできることなど期待しないほうがいいと思っている。それは同じ流れのことか?まあなんか良くなるといいなあ、という、だが期待とは呼ぶべきではないだったら何と呼べばいいのかわからない(眠いから?)そういう気持ちを持っていく。感情を消すというのもその感情の中に持っていくようなそんなイメージ。