本当に一番興味のあることからは、無意識に眼を逸らしてしまうような虚しい癖があるのかもしれない。
僕の予想通り、僕の頭上を越えていく者たち。眼を見開かなくてももうわかる。
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夜の散歩に出かける。小学校の横を通る。なんとか学会の横を通る。
予想以上に暗い。襲われないように気をつかう。
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ずっと昔はここも知らない道だったなんて信じられないくらいに、生活はぬるい感覚の中にたゆたっている。
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また別の路地。眼鏡を外してみる。
やはり視力の悪化は世界との距離感に密接に関わっていたように僕は感じる。
裸眼だと、ひたすらぼやけるけれど、眼鏡やコンタクトのときより存在感が近い。
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公園の前の街灯。白くて不気味な光。ペイントされたタイヤが薄く光る。このあたりは、確実にある種類の情趣だ。でもそれもどこか昔より遠いな。
そこで分岐したその先の道はまた暗くて、でも突き当たりにはT字路があってオレンジのミラーがあってそれをその上の街灯が照らしている。
ふと、静けさに気付く。本当に僕以外の人間がその辺の空間に存在しているのか?灯りが灯っていても、微かに音がしていても、なんだか信用できなくなった。その住宅の家の扉の先が世界の果てであってもおかしくないという実感があった。
久々の浮遊感に酔いしれながらもう少し歩く。うちの犬がやたらと好む、田んぼの横の道にきた。なぜこの道を犬は一日に5回も通ろうとするのか、なにかそういう魅力があるのかと思い、探る。日本家屋の、黒みがかった木が良くて、微かにそんなような匂いもした。いやこれは、多分犬はそうではなくて、僕が好きなもの。「好きな空間」、考え事が頭に甦った。
田んぼの向こうには比較的大きな道路があって交差点がある。車が通る、音がする。
ここでやっと、静けさは終わる。ああ、車が走っていては、どうも人がいないなんて言い訳できないなと思う。僕の家の前も中途半端に車が通るから、逆に言うとこれが静けさを奪っていたのだな。
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家に帰って扉を開けて階段を上がるくらいまではまだその感覚がついてくるのだけれど、自室に入ってしまうと
またぬるい空間と意識にすべりこむ。
考えは進展せず。