raingoesup

「中高生のときやりたかったブログを今やる」

汚泥の底

†今回は思考実験のような記事です たまにこういうことがしたくなります 理論的に間違ってることや自分の意見じゃないこととかも際限なく、その場で修正したりしなかったりしながら書いてます まあこのブログ自体が全部そういうものですがそうじゃない書きかたをしてるときもあるので

端的に言うとこういう記事は読むと普段よりも倍の効率で時間を無駄にする気がします

 

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演劇を見に行った どうしても小学校から続く悪習で誰に晒すわけでもないのにお膳立てされると心が動かないというのがまたありました 多分初めはある程度立派だなあという感情のベクトル成分は生まれているはずなんだけど何者かに合成されてよくわからない方向に飛んで行きます 笑うとこで笑えないとかそういうのも割とその実感を強くします

感情のパラメータは本来こんな2次元ではないはずなのだけど簡単のため、とも思ったが実際このくらいの単純化までもがどうしてか行われているような気がしてならない

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後述の話からすると「さいご」よりも「終演直後」とかのほうが良かった

 

頭が痛いのでこんな図をかいてしまった 

加えてツイッターで物理学者に独自理論をつきつけているヤバい人の界隈をちらと見てしまったからなのだと2重に言い訳しておく

 

まあ何かというと、終わった後のアンケートがうまく書けなかったのと、出演していた友人に感想をうまく言えなかったということを少し気にしているというのもあってこういうことを書きました

 

さっき風呂で思い返していたらそれなりにストーリーなどに対する感想めいたものは生まれた

どうも僕はインプットからアウトプットまでにかかる時間がとても長いようなのだ 自慢ではないが「惑星間通信」の異名を持っている この話は長くなるので詳しくはまた後日

感想は脳内で形になったらすぐ現実で言葉になるのが望ましい それ以前は形になっていないからうまく表せないしそれ以後はどんどん消えていく 動画サイトのようにいつでも感想を言えるならばこのタイム感は比較的誰でも発揮できそうなのでそれはいいことだと思った (相手が見てるとも限らないし1回きりの演劇と何回でもいつでも見れる動画とでは全然性格の違う話だけど) ツイッターは発信者個人により過ぎる割に見る側はかなりパブリックだったりなので恥ずかしい

 

先の段落の途中で文責負担率があやしくなってきたので先頭に戻って注意書きを書いてたら何を考えてたか忘れてしまったので終わり

 

文章を推敲しながら書くのではなくある程度量を書いてから推敲しないと量書けないだろうなと思った 内容を考えてから書くのはムリ

 

記事を書いている最中にも頭痛の波があってそれによって内部的にテンションが変わっている、それを視覚化することで文責のアレを表現することができると思うので体調に応じてフォントが変化するデバイスの登場が待たれる

 

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文章が構造的になりすぎてはいけないと思うのだけどブログやツイッターを使っていると色々メタ的な表現が頭に浮かんでしまう