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伝われ!左心房の大冒険

lostinblue.hatenablog.com

なんとなくもう一個ブログを作った。

心機一転の雰囲気作りに、晴れ晴れしい気持ちを表現する記事を書いたが、ほんとのところどうなるかはわからない。

 

先週の目標、授業がどうこうというのは無事に終わったので、次のことを考えないといけない。今日はそれをちょっと失念していてぼうっと過ごしてしまって、さっき父親と会話したときに若干嫌な気持ちとともに思い出した。なんとなくその感情の動きが(最近の僕の)土曜日っぽいと感じる。

 

本を2冊、両方とても面白いのを、平行して読んでいて昨日くらいに両方読み終えた。面白い本は面白いなあ。ずっと読めてしまう。

 

結構僕は本の趣味というか受け付ける文体が限定的なところがあって、本によってはまるかどうかの度合いがかなり違う。

・・・この話はずっと書きたいと思ってたけどうまくまとまらなくて、今もかなり止まっている。なんか書けない。

 

書けないと思ったら全然書かないことが多いし、同じことが口頭だともっと顕著になる。舌足らず。とてもよくない傾向だと思う。言えなかったことをあとで他の形で伝えられたらまだましだけれども、それも苦手。

この言うか言わないかに限らず、気持ちと行動が一致しないことが多くなるのは本当にわけがわからなくなるから困ったことだ。(「気持ちと行動が一致しないと」云々は読んでた小説にでてきて「・・・っ!これ!」ってなってそれでツイッターにもここにも書いたんだけど、どこで出てきたんだっけ。どういう文脈の話だったかも記憶が朧げ。)

 

文を推敲してると無限に時間が過ぎる。レポート書いててもそう。考察とか形式的に適当に書けばいいんだけど、妙にレトリックや構文が気になって拘ってしまう。自分の中の美意識めいたものが、(こういう場で)破綻した文を書きたくないという拒絶感を発揮してしまう。

意識しないで書けるものなんだろうか?慣れなのか?今は慣れだと思っておくことにしているけど。

今もここに書こうとして書いた文を上の段落にコピーペーストするということを行ったし、「レトリックや構文」ってどちらかにどちらかが内包されていたりして間違った表現なんじゃないかとかいうことが気になっている。反論や提案を想定してそのことについて書こうか悩んだりしている。結果長くなるからと思って中途半端なところでやめたりする。

こうしてみると、結局文を書くのも脳の処理能力が大きく関わっていて、それも結構瞬発力めいたものなのかなと思う。一番苦手というか拒否反応が出てしまう感じの分野だ。一見静的に見える作業でもしかしたら自分でも、と思っていたらそうでもないらしいということに、裏切られたような気持ちになる。

 

あれ、そうでもないかな。オートマティスムとそうでないものが途中でごっちゃになってたかもしれない。もっと時間の感覚を落ち着いてつかまないといけない。

レポートは期限があるから結構急いで書かないといけない。小説やブログは基本いくら時間をかけてもいい。でも発想は浮かんでは消えていくし、記憶も時間経過に伴って消える。(思い出すことをしたらある程度は寿命が延びるがそのときの状態はそのときだけ)その都度リストアップするみたいな工程がある程度正しいんだろうけど、その段階でも瞬発力は要求される。

 

・・・・・・あぁ、やっぱり自分は頭が良くないんだろう。その分真面目に、真摯にならないといけない。それでないとほんとに何もままならないだろう。

こういう真面目な考え方が嫌いだ。芸術はなんでもありだろ! という気持ちももう少し分離して、方法論の一つとして真面目になりたい。人と向き合いたい。こんな尻尾を追いかける犬みたいな思考を繰り返してくだらないことばかり言ってしまうのは嫌だ。

時間が無いからこそ・・・。