raingoesup

「中高生のときやりたかったブログを今やる」

精神的な力学

なぜこんなみじめな気持ちになるのかという考察から。それはただ差異を認識させられたから。何も実らなかったから。

本当に何もなくてただみじめなばかりだったかと問い直すとそうでもないかもしれない。

悪いことばかり思い出すから、良かったことを重点的に思い出していこう。

 

納得のいくソロが弾けたこと。2人くらいから声をかけられてほめられたこと。会話をした相手から「そういう音楽ってどうやって探すんですか?」ときかれたこと(相手の意図を汲み取れていなかった会話の中ではこのあたりが一番よかった?ように感じる(意味がわからないな))。1年ぶりに会った人3人から声をかけられたこと。後輩、同期の一部とそれなりに普通に話せたこと。

こうしてみると自分自身の行動については少ないが、それは仕方ない。行動の結果として起こったことだけが良かったことと確実にいえるものだから。つまり、やはり納得はいってない。

 

いいことを思い出した後にそぐわない話ではあるが、今この文章は、サイコパスにならないといけないということを書くために書いていた。

まあどこへ行って何をしても何もうまくはいかない。人の言うことは素直に聞いて、それでまだどこか人のせいだと思っている。

基本的に自分しかなくて、それでやっていくしかないのだ。認められないことを認めたりやっぱり認めなかったりして。認められなかったらやっぱり暗いままで、暗いままやっていくしかない。それはもう、ちょっとでも誰かに好かれようとか、まともに思われようとか、そうありたいとかいう気持ちや、それが満たされないことに対する不満足を、まるっと放棄するぐらいの覚悟がいる。少し飛躍したけれど、自分はもはやそういう立場の人間だと思っている。

諦めて捨ててきたことを今更になって無いと焦っている。必要だったから?必要ないと思ったから捨てた?それはともかくとして、無いものは無い。無いなりの生き方が、ひっそりと生きて、対外的なことに対する感傷をその都度殺していくことだ。自分の中の自分や他人の不必要な部分を殺す。出来事や自身の判断を記号として受け止める。