raingoesup

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バリ2021/02/11

前記事とのしょうもないつながりでしかないがバリと言えば自分の中では圧倒的に「バリで死す」。しょうもないことをそういうために「しょうもない」の6文字も消費するのが見た目にとても気持ち悪くてとてもしょうもないことだと感じる。やめろ。

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なんか疲れていたからか午前に存在してほしかった3時間は無に消えていった。寝られた結果体調的には比較的安定した状態になったように思うので、無ではないのだが。

タンパク質をたくさんとって、迷ったけどコーヒーも飲んで、しばらく無の時間を経て家を出た。池の水はとても汚く水量も減っていたが、日曜に見たのと同様に鴨が居た。近づくとすぐ退避する。

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コーヒーホットM。今日は妙に耳に障る声が響いてくる。

罵詈雑言、とこれは繰り返す誤用だが、そんな感じのことに対して、何を思うかによって自分の状態がわかる気がする。ちょっと前のように、ぼんやりと他人の幸せを遠くから見つめて微笑んでいるようなよくわからないのが一番いい状態だと思う。基本的には以下の二択で、二択というのは、こんな中学生共ろくな人間にならんでとかこの地域の奴らはほんとどうしようもないで、と思うか、こんなんでも絶対自分よりはまともで、それなりにまとも、というか現実世界を生きる大人になるし、ちゃんと生きている人たちなんだ、それに引き換え俺はなんともしょうもない、となるか、みたいなところ。書いていて思ったが思考が最悪過ぎるというかどっちもどっち過ぎるだろ。それでもなんらかの2相性を持った特性なんだ、と思う。だから何?まあそういう違いがあること、調子によって変わること、どっちにせよ最悪過ぎることなどに自覚的にあれているとしたら、そうでないよりかは幾分ましな状態なのではないかと思う。そういうことにしておきましょう。

それはそうとして着手し始めはびっくりするくらいやる気というか、その根本的なモチベーションが見つからない状態になっていたな。なんでこれをやるのだっけ、というところをいくら掘り下げていっても別にどうでもいいのに、しか出てこないのだから本当によくない。よくないのはなんとなく今はわかっているが、それもその時はよくわからなかった。波動が悪すぎる。

もう日取りはないのでこんなことを書くよりも少しでも知識を詰め込めばいいと思うのだが。なんか意味があることに思えてしまって、それに従うのは別にいいとも思うけれど、どうにも時間もかかり過ぎているし、いまいち状況が見えている状況とは思えない。

まあ失った時間は1日前だろうと1秒前だろうと戻ってはこないので、失ったから自分がどうとかいう思考は全く逆に意味がなくて、今の状況がどうで今からどうしようか、ということを花畑の頭で考えていくことが、大切なように思える。そんな大切なことがあってたまるか。よくわからないが。そんなところ。