raingoesup

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2020/05/05

会社の同期で遊ぶ会が開催されていたが、結局参加しなかった。

 

 

 

 

夜歩く。ツイキャスでもしようかとよっぽど考えたけれど、この状況下で違和感がある行為であることは確か。そういう違和感を押し切るというのは、自分の勝手な思想や意思で良識から遠ざかるということで、あまり望ましい展開ではない。散歩しているだけでまあ同じなのだけれど、その押し切りだけは踏みとどまる必要があった。もしやっていたらどんなことを話すかな、人が来たらどんな対応をしようかなと勝手に妄想していた。身の上話を完全に自分のペースで話すというのは、精神的に良いことのように思えた。

 

 

 

 

歩いていた目的の一つは煙草を吸うためだった。最寄りのコンビニでは少しつまらないし、歩きたい気分でもあったので、少し離れたところを目指した。ついて、まあここで買った煙草でもないし、何か買ってから吸おうと思い、入店した。ビールと悩んだけれどキットカットのキューブ状の何かいい感じのやつを買って出た。よく見たら灰皿は撤去されていた。この前つい最近通りかかったときはあったと思うのだけれど。何をやっているのだか分からないが、歩いた。

 

 

 

 

歩くのはまだかろうじてどうにか悪くない行為としての体裁をなしている。いささか夏っぽくなってきた空気が良いのかもしれない。見飽きたと風景に憤ることもなかった。なるべく音楽も聴かずに、世界にチューニングを合わせる。そんなふうにしているとむしろ、時間や場所にとらわれない精神的なありかたがぼんやりと見えてきたりもする。

2020/05/04

12時くらいに起きて、業務スーパーで買ってあったインスタントミーゴレンヌードルを作って食べた。説明を見ると、茹でてから湯切りし調味料をまぜるという作り方だったが、まあいけるだろうと、袋麺焼きそばと同様の作り方(フライパンに200mlの水と入れて加熱し、水がなくなるのを待つ)で作った。少しスパイス感があるが、基本的には袋麺焼きそばと似た味だった。ただ、トッピングとして味のない柿の種みたいなパリパリとして物体が入っていて、少し焦げ付かせすぎたことによって生まれた香ばしさが合わさって少々過剰な香ばしさになってしまっていたので、次作るときはもう少し水気を残した状態にするか、説明通りの作り方を試してみる。

 

 

 

 

 

一昨日くらいから、ソロギターをやっている。昔弾いていたジブリやFFの曲。完全に忘れていたが、書いた楽譜を見てやると、次第に手が動くようになった。それなりに心は癒されている気がする。演奏はスポーツのように体を動かすこととその応答をとりこむことで精神によい効果をもたらす。ちょっと前に頑張ってDAWをいじったりしていたが、ああいう高度な知的作業を必要とすることや創作めいたことというのは、適性もやる気もないのにやろうとすると、何の成果も出ずに終わることも多く、あまり健康的ではない。できる人でももっぱら創作は精神が摩耗すると聞く。

 

 

 

 

 

少し仕事のことを考えていた。ある程度離れた時間にいることで、冷静に考えることができるかもしれない。例えば職場の人間関係。この先自分はどんな形で馴染む、というか存在していくことができるのか?例えば今、同い年だが自分より4年くらい先に入社している先輩に教わったりしているけれど。まあ敬語で話すとかはいいとして、この先下手すれば20年30年と付き合うかもしれない、いや実際にそうはならなくとも、少なくともそういう長い時間を共にする前提で関係を保持するというのが、あまり意識していなかった前提なのかもしれなくて、そうなってきたとき、自分はその人とどういう風にコミュニケーションをとっていけばいいのか?ある程度のところで、というかもう向こうも把握しているはずだから近いうちに、同い年であるということが議題に上がるとして。まあだからそうか、基本的には、仕事の上で先輩であるからそのようにしつつ、精神的な部分で、フランクなコミュニケーションを持つようなイメージが妥当か。まあありふれている話だから、そこまで考えなくてもよかった。まあだからそれよりも、本当に自分がそういう20年30年をも見つめたような振る舞いができているかというようなところか。

 

 

 

他には例えば自分が何かを面倒だと思うこととか。仕事として、半年後くらいに、社内で集まる行事があるかもしれず、担当が自分の部署になるかもしれず、その場合は若手を中心として用意に携わる。どうなんだろうか。やはり気持ちが後ろ向きになっていると、ふつうに大人であろうとすることとかも忘れて、不慣れであるし不安であり、面倒だと感じる。これについてはどうにも精神の柔軟性が大切になってくると感じる。

 

 

 

 

 

関連して、会社に対するイメージ。今はなんとなく、真面目で若干自分と文化圏の違う人が多く、結果的にぼんやりとした息苦しさみたいのを感じている。これについては、自分の幻覚によるものが大きいと思う。仮に、もう少し昔に他社に対して感じていたようなイメージを、今の会社に向けるようなことができれば、これはまた全く違うように感じられるのではないか。自分のあり方も。

 

 

 

とりあえず気負わずにすることが、毎日の過度な緊張を回避することになる。それに加えて、今回のことから得られる行動指針。気持ちを柔軟に保ちつつ、会社に対しては積極的にイメージをコントロールすることで、諸々の感情の経路をコントロールする。とにかくそういうことが、人間関係や色々な仕事に対してポジティブな対応をとることができるようにするとイメージできる。

 

 

 

そんなところで、明日はまた会社の同期と関わるタイミングがあったり、連休中に終えるべき作業があったりするのだけれど、イメージのコントロールにより諸々少しでも良くしていきたい。考えていることの割に展開が雑なような気がするが、そんな感じです。

2020/4/30

 なんとか及第点か。失敗という失敗はしていないが、そんなに良くもなかったかなあ。もう少し文化を考えて寄せた発言をするだとか、ウケを狙うだとかもあってよかったかもしれない。尊敬しつつ、部族であることを理解する。そしてその一員としての動きを全力でやる。これが会社で生きることだということを、まだ疑うには早いと思う。

 

 

同期のつながりにしても。このところの気持ちの向かう先として、ある一線を引いた孤独へと踏み切ってしまいたいと、明確には思っていないと思ったのだけれど、自分の動きはそういうありようをしていた。できればそういう生き方がやはり向いているのかもしれない。でもまだ。もう少しだけ動いてみてからでいい。別につらくない。幻を見ている。そうかな?食事をして気分がましになった勢いでやってみたけれど、まだざわざわと落ち着かない。

 

 

 

少しでもフィードバックがあると救われる。救いに関してはやはりこれが答えなんだろうか。精神を強化することももちろん必要だし、短期的に成果が得られるのは他人からの承認だし、これも必要ないことない。

 

 

 

 

今日の精神強化。事象をあるがままに見つめる。感情をそのまま受け止めない。又聞きの又聞きのマインドフルネスについての知識で自分の思っていたことを補強する。なんだかんだ、他人による裏付けも強い。よし、これでしばらくいけそうな気がする。細かい正しさは差し置いて、回避行動を回避し行動できそうな気がしている。

 

 

それでも虚しさは止まらない。止まらないままツイッターなどを彷徨うのはよくない。というかそんな状況では多分何もままならない。虚しさを止める。目の前への集中。やりたいことはない。細かいところで回避と意思のなさが浮き彫りになる。

 

 

良くなったことを考える。とりあえず直近で一番緊張するイベントは終了したし、明日以降、今日よりはその点落ち着いていられるはず。集中もできるはず。寝ることに罪悪感を感じたり悪手だととらえたりする不安もない。

 

 

とりあえず一度誘いには乗ったことで、完全に回避したという後悔はせずに済んだ。またきつそうなら、予定が入ったとかで全然良いのだし。まあそれも少しの好転でしかなくなってしまうから、できればやめたいのだけれど。そこはまあ、気負わずに。

 

 

 

ずっと考えていても仕方のないことだから、またそれとなく機会がやってきそうになったら、部族に接近する方法を考える。あくまで、それは大事ではあるけれど、メインタスクではない。優先順に従った精神感度を持ってもよい。それはとても正しい。

 

コントラストも大切。沈むなら余計なノイズを消してしっかり沈んで、時節とともにそれとなく起き上がってこればよい。自分として正常なふり幅を見つける。これが綱渡りをなくしていくことにつながるんじゃないか。

 

 

心が静まってきたかい?

2020/04/29

そこまで調子が悪くなかった。昨日まで書いていて得たようなイメージを元に行動することができた。ツイッターに色々書くことにより、精神の一部をインターネットに浸し、毒抜きなどの効果を得ていた。作業を正常に進められたのが良かった。

 

 

危ない橋を渡っていることには変わりはないと思う。言ってしまえばこれはほとんど独りよがりな躁でしかない。気を抜けば過去の意識が襲ってくる。今に集中できれば忘れられる。

 

 

脚はまた定期的にだるくなる。だるくなったら伸ばしたり殴ったりしている。この症状は昨日よりはましではある。しかし異常な興奮と倦怠感が交互にやってきて安定しない。興奮で眠れない展開もあるかもしれない。

 

 

 

昨日だか一昨日だかに注文したタンジェリンのオイルが届いた。前まで使っていたものはオレンジの鮮やかな色がついていたが、今回のものは無色だった。香りは少し薄く、より石油っぽく感じたが、たくさんめに出してティッシュに吸わせて放置しておくと、次第にもう少しやわらかい感じの香りが広がってきた。置いておくことで香りが変化するタイプのものなのかもしれない。ジムビームが開栓直後はなんだかセメダインみたいな匂いがするのに、しばらく経つとやわらかく甘い香りになるのと似た感じ。

 

もう一本、また別のブランドでラベンダーのオイルも買っていて、明日届く。2つを合わせることで、安眠を誘う体制が整う予定。

 

 

 

 

そんな感じです。気負わずにやっていきましょう。

2020/04/28

毎日危ない橋を渡っている感じがする。安定はしていない。疑念を拭うのが難しい。身体的にも、常に胃腸が悪く足が滅茶苦茶だるい。

 

 

 

それでも作業を楽しむ、やりきることにしか救いはない。「まあまあ」と「ちょっと(無理)」の境界は非常にあいまいで、それを長期的に間違えることに落とし穴がある。とりあえず「まあまあ」もしくはそれの一時的な変異体にあるうちは少なくとも、石の上にも3年、とりあえずやっていく。できるなら、無用な苦しみは得ずにやりたい。この一段階が苦しみを作っているような気もするけれど。

 

 

 

話が合わないかもしれない相手と連絡をとっている。話せる、話そうと言われるのがその人くらいだからだ。毎日少しずつ相手も自分も不快になっている。頭の悪い行為をやめたい。精神の危うさを自分で増やしているような。

 

 

 

やはりあてのない他人に頼らなければこの状況というのは打開できないんだろうか。救いを求めている、とかいうと大げさであまり好ましくはないけれど、そういう状況にある。気の持ちようを把握し、切り替える操作の一つがこのブログであり、個人的解決の糸口としての試みを無理矢理凝結させたものとはいえる。とはいえ実践は別のところにあるので、これだけでどうこうなるものとも思えない。

 

 

 

外部的なきっかけが何かあって変化が訪れるパターンもあるけれど、それでもやはり他人をあてにしてはいけないと思う。そもそも頼れるわけではないのだから。やはりないものを見ている。

 

 

まあやっていきましょう。

2020/04/27

状態があまり良くない。落ち着く必要がある。

 

 

ふた月ぶりくらいに煙草を吸ってやや落ち着いた。開封して1年はとうに経っていて、あからさまに硬くなっていた。ほぐして吸ったら、そこまで味は悪いものではなかったように思う。その後は歩いた。半分くらいは音楽を聴いていた。落ち着いたが、その後あるきっかけをもってまた不安定になった。

 

 

こんな状態ではいけない、と思うことがさらに状況を悪化させているきらいががある。

 

 

めどが立ったので、気を晴らすためにも、久々にお金を使うことにした。noteの有料マガジンを購読してみた。とりあえずこれで小気味の良い文章が好きな時に読める。よかったですね。言いながらでないとできません。

 

 

 

2020/04/23

意識が薄い。本当にわかっているのか。

 

 

会社で働くことの不安と学歴コンプレックスの影響の入り混じった嫌な夢を見た。朝の散歩はした。夜の近所はまったく嫌になるが、晴れた朝に、子供のころ走り回っていた景色と、ちゃんと咲いている春の草花を見ると、世界が連続しているんだなあという実感がわく。家々からちゃんと感じる息吹。地に足がついている、ここで生きているという実感。

 

 

足がだるい。いまいち集中できない。

 

 

明日は久々に出社するのだけれど、2週前だかにやっていた気合の入った準備とか心の構えとかをしてなくて、なんとなく破滅しそうな気がしてしまう。かろうじて紙に書いてあることはやったけれど、果たしてそれでいいのか。

 

 

悲しさや不安を紛らそうとしていたらよけいに悲しいことになった。地獄への道を舗装していく。善意とかは知らないが。

 

 

まあ気負わずにやっていきましょう。醜くなることは悲しいが、なってしまったものは割と仕方ない部分もあり、映えを気にしてもがかずに死ぬことも悲しいですから。ただやっていく。