raingoesup

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それなりに調子は良い。金曜から土曜にかけて、1年以上前からずっと考えていた研究のアイデアがようやく活路を見出してきて、途中でやめられないものだから睡眠に影響を及ぼしたりもしたのだけれど、なんとかすっきりした形にまとまりとても、良い。あとは日曜日に髪を切った。行く前、髪が伸びすぎてどうやっても様にならず暗い気持ちになっていたし、そもそも朝起きてしばらくたっても、いつまでたっても身体がだるすぎて動けなかったりしていたが、とりあえず別の用事もあるし、と家を出て、京都に向かう電車の中で予約を確定した。4時に着いたが予約は8時。とりあえず靴屋に行ったけれど馴染まない。多分あの、すぐに店員から声をかけるスタイルが、靴屋では最適だから、そういう形質の靴屋が生き残っているのだろうけど、やっぱり苦手だ。「大丈夫です」と一言言ったらそれでいいのかも知れないが、なんかそういう空気になったらすぐに逃げる。何も言葉を発することができず狂人だと思われるのが怖い。パッと見で気に入る靴も別に無い。ネットで同じブランドのものを買ったことのある、安い服屋に行った。さっきよりは馴染むけど、長時間居れる気はしなかった。知り合いがバイトで働いているというチェーンのカフェに入った。コーヒーとサンドイッチを食べ、長居した。軽音サークルの話をしている大学生がいた。そうだね。小蝿が飛んでた。自分の家と同じくらいの存在感だった。トイレの床にペーパーが散乱していた。それなりに馴染んでいた。出て向かう。着いて、まわりの道をうろうろして、また店の前に戻ってきて、髪型を少し直して、少し待ってから入った。人物が、店が、予想していたような雰囲気に近く、仕上がりも良かったので満足した。少しだけ明るくなっていると思う。今日はやっかいめな授業のTAが今季最終だったが、サイコパスだからどうなっても別にいいや、とまあ自分の確信に従って、確証はないことを教えて、けれどもうまくいかないからもう少し面倒を見たら、結局大丈夫であった。俺は運がいいと思う。適当でも結構うまくいく。

拝呈

スーツ姿で、いつもより気が大きくなってる皆を見る。人のレポート写して何が成績優秀者だ馬鹿がよ!!茶番がよ!!とまあ今のくらい気持ちの一端はそういうところにあって、前から分かっていたから、研究では頑張って何とかプレゼンテーション賞を取りたいという動きもあったのだけれど、これを期に全力でその価値観から逃げたいと思う。頑張るけれど、それは完全に自己満足のためでしかない。そういうやり方が、自分にとって生産性を上げるには一番最適なことを知っている。言い訳、というような声が響くだろうから、逃げ!と全力で叫びかき消すことにした。何を言っているのか分からない。

狂気の危険性をここに来て甚く感じている。悲しすぎる。しかし自分の性質は、身を削って皆と協力し人類の夢を背負う方より、わけのわからないことでとち狂って重罪を犯す方に近い。気をつけたいと思うけれど、それってどうやるの。とち狂った状態で正しいスケール感もなく、最低限の倫理観すら失ってしまったら、もう終わりじゃないかと思う。

だからまあ自分にとって、自分を狂わせる価値からの鮮やかな逃亡こそが最適解と思えるわけだ。逃亡は絶対安全で、そこにいかにして鮮やかさを付加していくかがプラスアルファの幸福度であり、重要になってくる。

タピオカのリスト

昨日は悪い方に入り、そのまま眠ってしまって、必然的に朝は汚い。何もできないのならせめてちゃんと休みたかったが現実は正反対のことしかできない。細かいことは忘れて家を出た。/目的の服屋に入っても気に入らないし馴染まないし無理なので、無を進捗して出る。それでも、適当に服屋に入る実績を解除する。こういう限界っぽさを表出させたくなくて、表出させないところにピントを置いて生きているのだけれど、やっぱり寂しくて厳しいから、できれば開拓したいと思う。/その後は、ずっと言っていたのにできていなかった、虚空を見つめる会を行った。少しだけ世界がやさしくなる。/暫く放浪。主要な本屋2つを冷やかしたけれど、街の他の空間よりは馴染みやすい空気で、未来をうっすらと感じられた。檸檬を置こうとは思わなかった。いつもの敷居の低いところで敷居の低い買い物をして、生きやすくなった状態で帰った。

ミガイ

なんかあの、半端な茶短髪の若い男が苦手で、同じようなのが4人くらいで群れていると吐き気を催してしまう。業務スーパーで見かけた。わたしはピクルスを買っていた。

何もない土曜日。今週くらいはと京都に行くことを決めたが、なかなか身体は動かず、朝を食べ昼を食べ気力が充填されてきたところで、雑に用事を押し付けられてしまって、別にやらなくてもよかったのかもしれないけれど、そうやって、詳細は省いても導き出されるであろう感情を自分が抱いてしまったこととかに、また再帰的に苛立ちを覚えて狂ったものの、すんでのところで、いつでも笑顔で気前良くいることが、自分にとっては幸せなのだという思考のパターンを掘り起こすことができて、事なきを得た。それが終わった後、帰ってきた人と会話をして、その後は何故か眠ってしまってもう5時。京都へ行くことができなくなってまた、また、また、一生休日を無駄にし続け、若い時間を逃し、少しずつ腐って死んでいくのかという気持ちにとらわれた。

結局焦るのが一番よくない、と今日のところは近場に行って、いつも通りの絶望感とか、少しの希望を百円の食材に託してみたり、吐き気催したりしていた。まあいいと思う。大したことじゃない。贅沢な悩みならそれで、なんなんだ。

美学と論理性の両方を放棄した文章が醜いことを自分は知っている。音楽だってそうじゃないかと思う。人間も。文章を放棄して自分は全部だめになってしまう。そういう完遂に、やりきった感触を覚えるという方法を見出したのか。そんなことはありえない。高校のときの担任は落ちるとこまで落ちたからもうこれ以上落ちることはないと言っていたけれどそんなことはなかったし、こういう感情を持っていたらどこまでも醜くなっていく。

夜はプリンを作った。電子レンジにかけ沸騰させてしまってよくわからないものができたけど、いいにおいがするし、面白かった。

疑凡処律

差し詰め大きな問題は無くせわしなく動いているので書くこともない。どちらかを過去形にするほどのこともない。無かったといってしまった瞬間に負の物語、終わりの物語がはじまってしまうから、賢明に現在形を指し続ける。気を遣う。

昔聴いていたネットラジオアーカイブを聞きながらPythonの勉強をしていて、心底楽しい。ゆるくて楽しい本が身に合っている。いずれかの表現が嘘の時制なことは置いておいて、けれどもそうすると文章を続けることができず、結局置いておいた意味もなくなってしまうので、放っておいても自動的に句点に辿り着く。

時計の針、向日葵が左回り

大きな宇宙で些細なことに輝きを見出すためには些細なことに気を向ける必要があって、達成されないことにまで目が向く。理性の働き。理性がもう戻らないものを捉えるときに悲しみが生まれる。後悔という言葉が生まれるべくして生まれる後悔。

そんなことはどうでもいい。宇宙の大きさなど関係なく、目の前のことを見つめて、そこから無限に楽しさを放出させる。生きていく意味は無くそれを作り出すことや探すことにだけ意味がある真理を忘れない。生きていく意味を目の前で少しずつ、不可逆に砕かれていくけれど、砕いた粉に水を加えて固めるようにしてまた作っていく。所詮は何も無いところから見出したにすぎない。それでも有限なものは確かにあるのだけれど。精神と同じくらい、物質や価値ももっと自由にならないかな。どうでもいいけれど、やたら写実的な癖にこじつけみたいな例えって嫌いだ。

花やくざ

諸々を終えて、また一つ景色に色が戻るのを感じる。形のない不安、根拠のない期待、それに沿えない無力感など、そういうものをあまり感じなくなったことによると思う。

身体はなかなか動かなかったりするが、朝はなんとか間に合って壊れた照明器具を新しく買いに行くことができたし、ずっと気力が出ないまま夜になったが、夜になってからコーヒーを飲んだりしてだましだまし色々タスクを消化できた。問題ない。

さあ、と意気込んで丁寧に生きようとしているが、どうだろうか。なまじっか、青春の回収さえ試みようかという兆しすらあるが、そういうのは危ないからあんまり考えたくもないけれど。とりあえず鴨川行くぐらいのことは許されると思うんだが。

丁寧な生活の話じゃなかったか。いや、丁寧な暮らしなどではなくて、健康で文化的なある限度の生活だ。立ち行かなくなる危険がまだ全然あるし、未来も見えてこないし、とりあえず見えるくらいにはいらないものを排除し、回転させていきたい。