raingoesup

「」

無間

図書館へ行く必要がある。

 

ツイッターまとめ

日記を書く気力もなくツイッターに妄言を垂れ流しているので、そこから流れを追うというのをやってみる。

01/07夜、睡眠が大事。01/08朝、寒ら河内守。舞鶴に漂着。01/08夜、感情を捨て、内なる神を信ずるようになる。このとき、仕事が終わってドン・キホーテに行きヘアオイルを買った。むちゃくちゃになってとりあえず寝る。01/09、昼に起きて適当に散歩してバイトをする。していたら終わって。宇宙になる。

 

特に何もなかった。思ったよりもなかった。大した動きは記録されていなかった。思わず改行も削除する。

 

サムネを気合入れて作る

・予定された破滅

昨晩はくさいスーツをどうにかしようとうろうろうろうろしたりその途中で鉢植えを落として掃除をしたり単純に寝付けない感じだったりで、遅くまで覚醒していた。今朝は予定時刻よりも遅く起きたのだが、それほど激烈な駆け上がりを見せることもなく、さほど眠気もなく、まあいけるかなと思っていたのだが、仕事を始めると、よくわからなくなってきた作業とともに、異常な眠気がやってきた。

忘れていたのかもしれない。これをやっているときが一番みじめな気持ちになるというのに。コーヒーを飲みながら、頭が振られながら、目がかすみながら、頑張りながらも、脳が壊れていくのをただ見ている。どんなふうに映っているのか。少し抜け出して何らかの対策をとるべきだったのだろうが、どうにもうまく頭が動かない。

脳が働かないのならこっちにも考えがある。感情は切らせてもらう。というようなことを考えながら帰った。

昨日のうきからするととんでもない沈みが一気にやってきた感じだが、どうにかごまかして、また楽しい空気を纏って、肩で風を切って、望むならばその狭間くらいの位置の魂で、頭を溶かしながら、歩いていきたいですね。真面目にやっているのか。知らない。感情がないならそんな通年の概念もない。

睡眠は大事。これでラップをしようとずっと思っているのだが、何の韻も思い浮かばない。睡眠は、大事。睡眠は、大事。睡眠、睡眠、睡眠睡眠。

誰がキノボリハイラックスや

・仕事始め

あまり眠れなかったが、朝はそれほどしんどくなかった。一本早い電車に乗ることは叶わなかったが、余裕を持って、階段を駆け上がることなく電車に乗る。クリーニングを終えたスーツが臭かったのが気になってはいた。電車が急病のお客様により一時止まったので、遅れたら面倒だなと思ったが、5分程度の遅れで済み、事なきを得た。会社に着いた。もし何もかも忘れていて、混乱のなかただ精神が終わっていくのではというのを想像していたが、さほど問題は無く、少し確認作業の念が押され過ぎていたぐらいで、昨日から続いていたみたいに、気づいたら再開していた。あけましておめでたいという旨のことは口頭で言うことが無かった。面倒がなくて良い。19時くらいまで作業して、その後は気になっていた本を確保した。オライリーのHeadFirstという、めちゃくちゃに楽しげな構成のシリーズの、デザインパターンの本。定番の、緑色の石の絵が描いてあるやつも一応見て、まあそちらも結構シンプルで良さそうだったが、めちゃくちゃに楽しげなのをより好むので、先に述べたほうを借りた。そのあたりで結構もう疲れはきていて、というよりも、帰ってからスーツをどうにかしたいだとか、初日からペース配分を誤って疲れてしまうのが怖いだとか、という気持ちが体調に作用するような形で抑え込まれたのもあり、そこそこで切り上げて帰った。自然な再開だったとはいえ、終始、これでええのか、おわってええのか、というような気持ちがつきまとっていた。しかし、全体的には、キマっているかのような精神の軽やかさもあり、ずっとこんな感じならなあ、と思わずにはいられなかった。

落ち着いて考え龍

・明日から仕事

やるべきこと考えるべきことを消化できたかといえば微妙で、荒れ果てた自室は結局ほぼそのままだったのでそのあたりはびっくりだが、毎日それなりに外には出て、設定したタスクの何割かは消化できたので、最悪でないという点で、いつもの長期休暇に比べたら幾分ましなものだったといえる。それでまあ、今からやるべきこととしては、足掻いて部屋を片付けるとかも少し考えたがやめて、ある程度のところで(仕事に行っていたときそうしていたのと同じように)思考を止めて眠ること。また明日から普通をやっていくことができるとはなかなか思えないところがあるが、まずはそれを受け入れるところから。できれば、そういうことを恐れるというところからは魂の焦点を外しておいて、色々興味のあることを学ぶこととかに目を向けていたいが。

 

そんなところで、日記を書くノルマは達成したのでこちらは終了。ただやっていく。

落ち着いて考える2

落ち着いて考えていられているか?

 

・ラジオの感想

M1の話。決勝未到達で敗れたコンビを含めてどれが面白かった、とかいう話をしていて、そのうちのいくつかは気になったのでYoutubeで見た。Dr.ハインリッヒというコンビがとても好みだった。自分はどちらかというと、年末の暗い気持ちの時につまらないネタを爆音で見せられるもの、というネガティブなイメージがあったが、ラジオの人のお笑いの楽しみ方というのがテクスト論的にネタを見るその一点のみにある、というようなことを言っていて、参考にしたいと思った。気が向いたら、そんな風に楽しめるのかもしれないと思った、ってこれもまた、なんか休みで気が大きくなっているだけというやつかもしれないけれども。

 

・外へ出る

外へ出ようと決めていたので、外へ出た。3時くらいだったか。パソコンをリュックに詰めて。隣駅のいくつかの店が目的だったが、駅まではやはり自転車ではなく歩く。圧倒的にこれが脳に良い感じがする。あまりに重い荷物とかを持っていない限りは。いつも自然を感じるために通る、神社の森の中の道は、初詣の参拝客向けの駐車場(グラウンド)に通ずる道として機能を果たし、轍ができていた。これがこの道が存在する本来の意義なのかもしれない。川を見ると、いつもの場所に鯉はおらず、冬場はもっと深い場所に移動しているのかな、と思ったが、少し離れた場所でいつもより群れずいつもよりゆっくりと泳いでいた。ぼちぼち、人がまぶしい。

電車に乗って隣駅へ。迷ったけれども先に服屋に行く。そこそこある道のり。正月の人出は、結構きついものがあった。見ていられない。まぶしい。目がつぶれる。MPが減った。服屋についたけれどもあまり何も買う気になれず、極めつけにレジにはめちゃくちゃな長さの列ができていてやる気をなくし、何も買わずに去る。無印も行って、そこはさっきほどレジが混んでいそうではなかったのだが、MPがなく、そういえば何を買ったらいいのかわからない、今マネキンを見ていても何も思いつかなかったので、何も買わずに去った。

コメダに入ろうかなと思ったが5時でもう閉店、その間際だったのでかなわなかった。本屋行った。デザインパターンの本、というかタイトルとしてはオブジェクト指向の本だったが、そこそこいい感じのを一つ見つけて、イメージ通りの感触だったので、やるぞという士気を維持することには成功し、しかし買うことはしなかった。会社にも確か、同様の本が何冊があったはずだから。それを利用したい気分だった。あとはオライリー機械学習の生成関連アルゴリズムの本とか、同じくオライリーが出しているフィードバック制御入門の本とか。いいなあ、結局こういうものに興味を抱くのだった、というのを思い出す。どうにかしてこういう方向に向かえないかな、向かおうとしてみてもいいんじゃないか、という気持ちになったが、とりあえずはまあ、今は汎用的なことで学ぶべきことが見つかったので、とりあえずはそれをやって、その後にこういうこともできたらいいかな、というような絵を描くことには成功した。

 

・日記厨

話が具体的で、いかに自分が浅ましいか、愚図であるか、みたいなことが見えてきそうで嫌になるのだが、書くのが最適な気がして何でも書く。フィルターを設けないことで出力されるものの量が大きくなり、推敲をしないことで作業全体にかかる労力が減り活動が活発になる、というような理由付けはできると思う。何でもいいからコンテンツを生み出したい、という気持ちはある。そんなで、お笑いのネタなんかも、文章や漫画、音楽、絵などとはまた違ったもので、ひょっとしたらできるのでは、いいのではと思わされてしまった。まあ一過性のものか。小学校のときにはやっていた行為だが。なんでも、音楽や小説に必要な理論的な緻密さ、辻褄を合わせる必要性とか、そういうものに対しては絶望的な脳の足りなさを感じるので、どうにか自分の脳に合った形で何かを生成できないか、ということは浅ましくしばしば考えているものだから。

 

・出た話再開

本屋でメモ帳買って。レジ並んで会計して、少し離れた荷造り用の台のところでリュックにメモ帳を詰め込んでいますと、ふいに現実感めいたものがやってきた。少し人との距離が縮まっていた、みたいな空間認識的なものが作用していた気がする。少しだけMP回復した気がした。腹が減っていたので結局駅の中のパン屋さんカフェで、照り焼きチキンバーガーとコーヒーを胃に詰め込んだ。人は少なくて、入った時は自分ともう一人おばさんだけだったが、途中から少し増えた。閑散とした状況から自分の後に人が増えると、なんだか自分が存在していることが人を呼び込んでいるような気がして、気分がよくなりますね。そういう都合のいいことを常に考えて楽しくしていたい。机は思ったよりも狭くて、パソコンを広げるような雰囲気ではなかったので、コーヒーを飲みながら手帳をごにょごにょといじくり回したのちに退店した。店の人の感じがよかった。返却口に返したタイミングで恐れ入りますとか言っていて、そんなこと言うんだ、と思った。電車乗って帰って。最寄駅の近くのフードコートで勉強した。コーヒー飲んだ後だったので、マクドナルド製爽健美茶Sサイズを仕方なくショバ代(用法合っているのか?一度使ってみたかっただけだ)としたが、思いのほか爽健美茶が美味しかった。なんだ、いつもこのようにして居座ればよかったのか。爆音の若者や爆音の店内BGMが明らかな問題で、イヤホンをする必要があって、その音楽に馴染むことさえできれば、環境的な問題はクリアされる、といったところ。終わったら荷物をリュックに詰め込んで、エスカレータで2階に上がって、あの台はプリチャンというのか、というのを見て(理由はある)、店の外へ出て、階段を降りて帰った。

 

余計な描写は多いけれども、そんなところ。どうにかして整えて、仕事を正常に始めたいところ。

落ち着いて考える

落ち着いて考えたい。

お休みの最中、時間が生まれたことによって、なんとなく落ち着いて考えられている瞬間があるような気がしたので、その匂いを少しでも残せたらと思う。

 

・思い出すことを決めておく

よく精神が悪化するのは、ことあるごとに色々な悪い記憶を思い出すからだった。けれども本当のところもっと色々な時間があって、それを同じだけ思い出すことができないというのは、思い出しという機能の作用が偏ってしまっているような、正しくないことにも思える。これを思ったのは、屋根裏の掃除をしていたときに、「まったり たいわん」と添えられた謎の魚の絵を掘り起こしたことがきっかけだった。少しはっとさせられるほど、小さいころの感性は少しまぶしいのだな、と思った。「たいわん」の記憶はうっすらとあったものの、そういう絵を遺したというのは完全に忘れていて、なんだ、今より全然表現ができているじゃないか、と思ったのだった。それで、まあ忘れているいいことというのもあるのかということを思わされた。もう少し大きくなってしまってからの記憶というのは、いい思い出があったとしても、それらが後ろめたく思えるような、全体として真っ当な生活を送っていなかったという思いがあり、どうしてもそれに行きつくのだが、その絵の思い出というのは、そうしたものとは無縁だった。その点が、他の遺物を見たときとは違う反応をもたらすものだったので、貴重な体験だった。そんなこんなで、そうやって悪いことなしに過去の良いことを思い出してもいいのかな、と思えたので、悪いことを闇雲に思い出すのではなく、それを悟った時、多少無関係でも良い記憶を思い出して、それでいてその良い記憶にまつわる悪い記憶は思い出さないようにする、というのを脳にプログラミングしておくべきかなあと思った。やれるんですかね。明日の風呂の時間にでも考えたい。とりあえずは、このことを思い出すということを覚えておく。

 

・お仕事観

資格試験の勉強は結局昨日くらいしかまともにやっていないが、その時はそこそこ良い感じに進められて、脳の調子も悪くない感じだったので、その点に関しては、それほど不安を感じていないので、良い状態と言える。

今日はプログラマの人がやっているラジオを聞いて、ゲストもエンジニア/経営者ということでそこそこそういう話題になっていて、脳の状態が悪いときはちょっと自分にはついていけない、理性的な世界の話だと思ってしまうような内容だったのだが、比較的前向きな気持ちで情報吸収できたのでそれは良かった。同業の人間が何を考えてやっているのか、ということを、フラットな気持ちで聞けるのは良いことのように思う。これは仕事から離れていて自分の無力さとかを忘れているせい、ととらえることもできるが、それは言うだけにとどめておいて、真偽のほどは検証もしないでおく。前向きな気持ちになっているのだから。

一つには、細かいことを気にしていてはいけないなということ。できないことはできないし、正攻法で戦って勝てないと思うことは悪いことではないということを確認できた。

あとは、とりあえずは、技術とその延長のことを考えておけばよいかな、と思うことができた。まともな人間、まともな社会人を目指すという苦しくハードルの高い志を持ちたいとは思えなくて、それもまあできないことはできないということだし、いいような、という雰囲気を感じ取ることができた。

あとはこれはこれからのことを考えたときに、本来考えていたのと異なる言語の、異なる規模の開発を行っていることを鑑みて、とりあえずデザインパターンをやりたいな、とか。何にせよ、今それをやることによって、過去関わっていて当時全く設計思想の読めなかったコードを読めるような解読能力を身に着けたり、今関わっている仕事で新規開発時、ないしは改修時に少しでも長く使える構造設計をできるようになったりできるのでは、ということは思うことができるので、やりたい。資格試験が近くそれに集中すべきでは、とも思ってこの手のことは消極的になっていたが、まあそこまで無限に時間を使わないといけないことではなく、さわりだけ知っているだけでも全然違ってくるかもしれないので、終業後の時間でも使ってやっていきたい。

 

そんなところ。今日はなんか文章がよくないところがたくさんある気がするが。まあ。

 

2020.12.30

かくしてお休み中。くだらないことに時間を費やしたり、申し訳程度にタスクを消化したりして過ごし、朦朧とした意識の中で書いている。夕方6時頃、雪が降りしきる中家を出て、コンビニまで行って傘を買って帰ってきた。そう、昨日から一応、外に出ることはなんとか果たせている。最近は犬にトイレをさせると紙に時刻と丸印を記入しているのだが、今日は失敗してしまったので代わりに時刻と×印を付けた。そんなふうにして、当たり前のことでも上手くいったのなら丸をつけてやりたい気持ちで、外へ出て丸印をつけているような。これは今思っただけのことです。けどまあ、それでも自分はたくさん×がついている気がするが。今だって何を思って何をやってんだかわからない。まあ、俺は蟹なのでどういうことをやるのが正しいのかよくわからないが。これって、晦日に書くことですか?