無能は他人をモノと思うことにしました。
実際、自分が対面しているそれが、内面に心を持っているかどうかなんて、ほとんど行動には影響無いんじゃないかな。ロボットだろうがゾンビだろうが、僕は円滑に物事を進めるためには礼儀正しく相手をすることができる。
そう、これは優しさなのだ。心の動きなんて他人からは過剰な類推でしかない。ならばどちらにも振れず、フラットな仮定を保ち続けることが、誠意になりえる。
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悩む時間が少しだけ減った気がします。
仲も悪くない実の親を一時でもモノとみなすことに無能は抵抗が無いのでしょうか。それでも、過剰な恐怖でただ過ぎ去った今までの時間、人と関わる時間を省みれば、もはやそれ自体には反省の余地しかなく、この異様な思い込みに縋る他に無いのでした。