ほんとうにうるさくてみな死んでしまえという感情で何もできなくなる。
落ち着いたほうがいいかもしれない。
やはりまわりの人間は単なる低俗なシステムに過ぎないと考えるのが妥当なんだろうか。入力があればそれに対応した出力をする。何も考えてなどいない。
現実的に考えてそれの仕組みを変えることはできない。全員葬り去ることもできない。また、自分も多分、この場所を離れることはできない...。
ならば自分の中で何らかの今とは違った処理を行って自分に対する負荷を軽減するぐらいしかとるべき行動はない。
その行動の原点はやはりまず第一に自然現象と捉えることだ。しかし、雨ならば傘があれば多少ましだが、授業中にイヤホンをすることはできないという問題がある。
雨との違いは何だろう。それは自分の意識の指向性によって浴び方を変えられる点だろうか。
これが他人と同じようにうまくできないのが、自分の悩みの種なのかもしれない。
======
ほんの少し落ち着きはしたかもしれないけど、考えたところで別にどうもならなさそうだった。
また一つ壁に紙を増やす。これは9月の事件があってから、やっていることだ。紙に書いて壁に貼る。紙に書いて壁に貼ってしばらくしたらはがしたりはがさなかったり見たり見なかったりするのだ。ただ、また壁に貼ろうと思う。