raingoesup

「」

2021-07-22

コンタクトをしたまま床で寝て起きた。

昨日は仕事の後、あれだけ上映されたら見ようと思っていたのに長らく見れていなかったシンエヴァの最終上映を見た。まあよかった。何回か泣いて、マスクが涙で濡れたり鼻から音が出そうになったりした。うわさに聞くような、拍手が起こったりとかは無かった。少し余韻に浸りたい気分だったが、京都の街は怖いのでスーッと帰宅。閉店間際のコンビニで夕食を買ってそれを食べて、冒頭のような状態へと行きつくことになった。

今日はどうにも調子が出ない。夕方に家を飛び出したものの、割とすぐ帰る必要があったので、歩いて木や川や本や多分買わないであろう寝具を見るだけして帰った。必要なタスク、まあこれはほとんど片付けとかなんだろうけど、それのほんの一部だけを消化した。屋根裏部屋に仕舞いに行く際、中学の卒業アルバムが目に付いたのでパタリと開いてみた。高校でも見ていた人たちなどがいるが、当然ながら皆若いな、小さいな、となる。けれど別にそれも今では昔の記憶の姿の一部でしかなくて、その後のもう少し大きくなったそれらと、基本的に等価のものに思えた。そういえばいたなあ、という名前があったりする。個人別の名前付き写真は軒並み表情が明るい。こんなこともあるんだなあ。自分はそれほど暗いオーラこそ出ていないものの、笑顔ではなくて、姿勢が左右にずれる形で悪いのが目立った。写真を見ていると、いつも単純に記憶の中でゴチャゴチャと煮え繰り返されるようなしんどさはあまりなくて、ただ割ときらきらした時間だったり、今よりもう少しだけ純粋でなんらかの希望を持っていた自分の心境などがやや高い解像度でよみがえってくるという効果があった。途中だったが父が上がってきそうな気配があったので閉じて、屋根裏部屋を後にした。その後になって、過去を思い出すことの無益なしんどさが回るようになってきた。うーん。しんどさを中和するためか、それとも単純な感想として自分の気持ちを整理する意味か、なんなのかは分からないが、素晴らしき日々でした、とでも言っておこう。いつのことだかは知らない。

多分今回も連休は活かせそうにない。一応旅行には行ったばかりだから、まあそういうのは無くてもそれは許されるというか、普通のバランスとして正しいという言い訳はできる。うん、やるべきことを、やりたいと思うことというカテゴリに内包させて、やりたいと思うことをやればいいだけ、という感じでやりたいと思うことをやっていくだけ。

「きっとまた会えるよ。」環境で獲得すべき思考力や人間性が自分には身につかなくて、みんなとは違う存在や、正しくない自分になっていったとしても。その時までできることを淡々とやっていけばいいよ。