2024/12/06
ちゃんと早く起きたけど最後までしょうもないことに悩んでぎりぎりで家を飛び出した。1か月ぶりくらいにあった同期の髪型が面白くなっていた。発掘した飯屋にその同期と行った。そのあたりは良かったがその直後の会話の微妙さが今も微妙に残っている。ソシャゲをやらないんだねと言われたとき、昔は「社会性がないから」と答えていたが、今は「難しくてよくわからないから」と答えており、どちらも真実ではあるし、その時々の実感に即したものではあるけど、どっちが言われてうれしいんかということ。ボールを打ち返すのをもう少しやれないか、とも思った。
会場へ向かう。そこそこ電車が混んでいる。眠い。人と一緒に移動していても目をつむってもいいのかしら。喋れないから、地図を見ながら先頭を歩く役に徹した。
会が始まる。そそくさと出て行って待機する。目線の持っていき方がずっとわからなくなった。わかってもいいんじゃない?わからないまま壇上に上がって立ち方もよくわからんくなる。おじぎをする。あとから、ぐにゃんとなっていてよいお辞儀だったとコメントをもらう、それはそれでまた、数少ないコメントで自分の中に残ることになった。周りの反応、こういうものでしょうか。妙に薄く感じて、それは自分の振る舞いがきもかったからだったりするのでは、という妄想に終始とらわれた。ずっと頭が痛くて、そのせいもあってそそくさと帰った。毎回この時間が一番気分が悪くて、毎回その日の価値を押し下げる感覚がある。
帰ってきてからはそうした感覚を引きずって泣いたりしていたと思う。「人間がわかりません、見ている限りは全然その通りなのですが、自分がその中の一つとして同様に振る舞うというところに、絶望的な遠さを感じます。」とのこと。なんでもいいから、発話をもっとすべきなんだ、という気分になって「スペースしてみてえと思ったがアプリ版でしかできず、ログイン失敗してブロックされツイキャスもブロックされ、終わった。」とのこと。頭痛いのに気分を乗せるためにさらに飲んで、寒い中出てきたものの、そのような結果に終わった。
2024/12/07
泥。10数年前でも年齢ばりではなかったような幼稚な病んだ写真をまたツイッターにあげたり、GBAのゲームの実況を淡々と上げ続ける投稿者を思い出してその動画を見て気持ちを落ち着けたり。夜、アカウントを整えて再度外出したが、スペース、ツイキャスともにつけるだけつけて何も話さず終わった。
色々な気持ちがあるにはある。とても残念に思ったり、別にそれでいいか、それによって自分の状態を理解した、と思ったり。少なくとも、何も語りたい言葉も語る口調も欠け過ぎているし、まだ文章のほうが自分にとって、的確に感情を表現しうる、と思って、今久しぶりに日記を書くに至っている。もっとその時のことを今表現したいけれども、よく覚えていないし書く言葉も足りていない。
2024/12/08
申し訳程度に予定を、生活を消化。加湿器を出した。本屋でネスペの本を買った。ダイソーに行って記事の工作のための部品を見繕った。味噌とんこつラーメンを食べた。甘くて美味しい。内容がわからない。
2024/12/09
仕事。主たる人間が居ないので穏やかを想像し、早く帰って記事をやろうぐらいに思っていたが、いろいろ問い合わせが来たりして、いつ返せばいいのかわからなくなったりしているうちに、起きてない頭がやられて、終わっていった。早く帰ることには少なくとも失敗しているね。まあいいか。それについては、それなりにやっていく、という気持ちがある。
生活、人生についてはこれが、わからない。シンクロニシティの人の動画に何かを思わされているところがあるかもしれない。どうなるべきなのか。なるようになることがあるのか。とてもわからない。誰かと話したいんですか?もっと自分でまともに考えるべきなんですか?話せる人間も考えれる頭もなかった。それでも日々、ちょっとましになってねとは思って動いている。年末年始にかけて何か整うようなことがありますか?わからない。とりあえずまだやる気はあることをやっていこうと思う。仕事とか記事とか。時間を見繕って。そんなところ。とりあえず日記も書いていけばいいのか。そんなところか。