raingoesup

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2019.11.10

昨日は良いライブを見ることができて、またかねてから行きたいと思っていた京都駅の上の遊歩道にも行くことができ、充実していた。電子音楽のイメージ、具体的には楽曲、楽器の構成やハード構成、自由度や規則性など、が自分の中で深まって、今日は少し自分でも作ってみていた。まだまだなんでもない完成度だけれども、行かなければ立ち現れることのなかったものだ。

今日はそういうこともあったが、基本的には溝に捨てられることとなった。家から出ていない。ただ街に対する自分、人に対する自分を燻ぶらせていく感覚。実際は何をやるかによって変わってくるのだが。

昨日買ったカルダモン・クローブのチャイを飲みながら小説を読む。部屋を薄暗くしてホラーゲームをやる。DAWでコードを並べる。出ていくことができず買えなかった服をネットで買う。

いいことを集めている。代償を支払えているのかは自信がなく、よってそれが本当にプラス側に落ち着くだけの意味を持つのかはわからないけれど。とりあえず今日をプラスにすることは独立して遂行し、虚しさに抗いたい。

2019.11.7

気持ち悪い夢見て自己嫌悪から始まった。

研究の出力は不安定で、人間とのコミュニケーションも不安定。ただ近頃は、慣れた場所だとなぜか自室にいるような落ち着きがある。瞼の裏の影が見える。

知りたいことがあったが、それがわかるとは思ってはいなかったが、勤務先の名前と特定の語句で検索をしたところ、やっぱりわからなかったけれど、会社の中途採用の求人情報を目にすることになった。割と給料は良い気がするし、その宣伝文句もまあ良い気がしたので、悪くないのかもしれないなと思えた。乗せられることも大切。自分を信じて冒険することとか、あまりできなかった僕には、そういうやり方で見出すことが合っている気がする、ベストではないにしろ。幸せになりたいなら。なりたいから。

プログラムを読む時間や、設計について考える時間が増えている。結局こういうことで食っていくことになるんだなという実感めいたものが芽生えてきた。どれくらい他人がこういうことをスムーズにやるのかはわからなくて不安にもなるけれど、当人比で成長できれば、実のあることができれば、それが将来につながれば、いいですね。実感によりブーストされて楽しくなって、楽しくなってというのを期待する。

寝る前気分は悪い。

2019.11.6

朝、業務スーパーへ行ってめんつゆとオリーブオイルと冷凍うどんと16円の中華麺とカップ焼きそばを買った。学校で食べる用。美味しくて金が残る生活で、幸せになりたいとも。リュックサックにノートPCと上記の夢を詰め込んで、膨れはしないが重くなった。

作業をやったりやらなかったり。やっぱり本調子とはいかない。何をやるにも出力が発揮できず、後に残っていない感じがする。

気分転換に歌っても脳がついていってない感じでリズムも音程も歌詞も意識の外に漏れていく。さらには、機材のたてるノイズにすぐ脳がやられてしまう。

 

冬の時代が訪れる。雪山で吹雪が吹く。それが止むのをただひたすら待つみたいに、静かに、微かな気持ちで生きられたら。

2019.11.5

まとまった文章を書く時間がなくなってしまった。もう少しだけ、切り詰めたほうがいいかもしれない。

あと一歩のコミュニケーションが足りない。いつものことだが。こういう症状は酒を飲んでいると感じにくくなる傾向があるけれど、最近は見た目や体調への負荷が深刻になってきていて、常用しづらい部分がある。

後輩と趣味の話をしていたときも、興味のある話なのだから、せっかくなのだからもう少し踏み込んで聞けばよかったと思うし、バイトで文章作成の指導をしていたときも、もう少し。

我々は、そのとき関心があることしか話せない。フォーカスしていないときに話が入ってきても、その重要性とか、自分の中での位置付けとかを忘れた状態になっていて、そこにあるのは形式的な相槌の延長にすぎない。自分の人生にとってどうでもよくないことでも、平気でそういうことが起こるのは良くないから、センサ入力に特定の情報が入力されたときに関心度をフルに持ち上げる癖のようなものをつけたいなというような雑な想像をして、人生の対策茶を濁す。

2019.11.4

別キャンパスの学祭があった関係で、学校のコンビニや食堂、図書館などすべて閉まっていた。コンビニも学食も開いていないと、山の中にあるうちの学校では、食事にありつけず飢えてしまう。

少しだけ作業して、その過程と結果に己の浅ましさばかりを感じてから、帰った。手頃な海鮮丼チェーンで丼を食べる。はじめてのイートイン課税。帰ってきてからさらに大量の(冷凍の)いんげんとハムを微かに残っていたオリーブオイルで炒め、市販のカルボナーラソースに加えて、パスタに和えたもの、を食べた。

寒くなってきたせいなのか、何はなくともつらいことが多いが、リズムをとりながら音楽を聴くといい感じだ。

 DAWをいじったり、PCの設定を直したり、本を音読したりした。休日らしいかもしれない。最近は寝る前にフリーホラーゲームのIbをやっている。部屋を暗くして、その小さいゲーム画面に合う、ノートPCの画面でやっていると、面白いかはともかくとして、雰囲気はとてもいい。没入感を取り戻したい。それが引きこもり的なメンタリティーでも、ここちよい深度であればやはりその感覚に、僕は惹かれるところがあると思う。

2019.11.3

満たされなくて焼きそばとカレーと焼きハムとたくあんとさけるチーズローストガーリック味を食べた昨日は、こんなのもったいないな、と思いつつも、家から出る気力がなかったから、ギルガメッシュブルーイングのHAZY IPAというビールを飲んだ。6.5%だったので酔った。ストロング一歩手前でもう崩壊する。家から出ていなかったこととか、そのときの精神状態とも関係があるとは思うが。

崩壊したまま朝を迎える。歯や眼球に関しては本当によくないと思うし、全然休めてもいない。崩壊したまま業務。

何も手につかなくて、パスタをレンジで調理する方法が、その専用容器とパスタの束を手にしても自然に体から出ることもなかった。結局別のものを食べることができて、事なきを得た。

風呂に入る。いつもいつも憂鬱にさせられるが、コンタクトを嵌めた目でゆったりと観察すると、パンテーンのシャンプーコンディショナーの容器がいつも感じる汚らしいものではなく、高級感を持ったものであることとか、風呂場が普遍的な、ただの空間でしかないこととかを感じることができた。窓から昼間の光と、さらにその窓を開けては昼間の音をも取り込んで、地続きの世界を形成して、外の世界にその安らぎを逃がしてやる。僕がそこで安らげば安らぐほど、そのあとの世界も安らかになるから、手足の指にしわができて、そのしわを見飽きるくらいまで湯舟につかっていた。

 

2019.10.27

ジョーカーを見たので一応感想。時計の針がうるさかったので止めた。

席は前の中央の島の一番右。隣のカップルが出入りするとき、足をぶつけられた。小声でも、上映中に喋っていると気になる、というか反射的に精神がキレる。

事前にネットで感想を見すぎていたきらいはあって、まあその前評判以上の衝撃はなかったかもしれない。単純に爆音で怒りの殺人が行われるのはびっくりしたけれど。

事前に見た感想の代表

note.mu

ネタバレ注意があったところからもう少しだけ読んで閉じた。

視点は、俺自身がジョーカーかというところにまずある。境遇などは全然まったく、あのような踏んだり蹴ったりではないが、人間として似ているところはあると思う。

上の記事でも言われていた、狂人なりの気さくさ。俺自身小学校のときはお笑い係という係を数年間やっていた。当時の俺というのは今以上に人間関係がわからず、学校で一言も言葉を発さずに一日を終えることもあれば、お笑いとして一人、朝の授業前の時間に教室の前に立って、わけのわからないネタか、ネタではない何かを披露することもあるような、奇矯な子供だった。5年生のときに、掃除の時間いつものようにフニャフニャとわけのわからない生物を演じていたらクラスの女子にキモいと言われ、1年くらい落ち込んだから、その後のふるまいは比較的落ち着いていたのだけれど。

人を楽しませることを大切にしてしまう。ブログでこんなふうに身の上話をするのも、ちょっとでも誰かにとってのコンテンツになれたらという気持ちがあるから。

人と話すのは苦手だから、サークルでも飲み会で酔っ払って狂った芸をすることをまず考えていた気がする。それ以外に自分が、例えば普通に話したり、役割をこなしたりして人から認められる可能性の期待値を限りなく低く見積もらざるを得なかったからかもしれない。高校のときだって、結局そういう方法でしか人と付き合ってなかったのだから。

長くなった。書いてみれば別にこれがアーサーっぽいとは思わない。

そもそもなぜアーサーはコメディアンを目指したのか。ちょっと自分の知能が足りてないこともあってか、まだ映画に対する理解が十分でない。

→調べてたら、紹介文に

・・・彼は一緒に暮らす母の「どんなときも笑顔で人々を楽しませなさい」という言葉を胸に、ピエロメイクの大道芸人として生計を立てており、・・・

って普通に書いてた。言ってたっけ。おい!

それはそうと、ひとりでいるとき気持ちが参ってしまうと急に狂った笑みを浮かべたり、踊りだしたり、そういうのは割とまったく俺と同じだった。