ジョーカーを見たので一応感想。時計の針がうるさかったので止めた。
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席は前の中央の島の一番右。隣のカップルが出入りするとき、足をぶつけられた。小声でも、上映中に喋っていると気になる、というか反射的に精神がキレる。
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事前にネットで感想を見すぎていたきらいはあって、まあその前評判以上の衝撃はなかったかもしれない。単純に爆音で怒りの殺人が行われるのはびっくりしたけれど。
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事前に見た感想の代表
ネタバレ注意があったところからもう少しだけ読んで閉じた。
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視点は、俺自身がジョーカーかというところにまずある。境遇などは全然まったく、あのような踏んだり蹴ったりではないが、人間として似ているところはあると思う。
上の記事でも言われていた、狂人なりの気さくさ。俺自身小学校のときはお笑い係という係を数年間やっていた。当時の俺というのは今以上に人間関係がわからず、学校で一言も言葉を発さずに一日を終えることもあれば、お笑いとして一人、朝の授業前の時間に教室の前に立って、わけのわからないネタか、ネタではない何かを披露することもあるような、奇矯な子供だった。5年生のときに、掃除の時間いつものようにフニャフニャとわけのわからない生物を演じていたらクラスの女子にキモいと言われ、1年くらい落ち込んだから、その後のふるまいは比較的落ち着いていたのだけれど。
人を楽しませることを大切にしてしまう。ブログでこんなふうに身の上話をするのも、ちょっとでも誰かにとってのコンテンツになれたらという気持ちがあるから。
人と話すのは苦手だから、サークルでも飲み会で酔っ払って狂った芸をすることをまず考えていた気がする。それ以外に自分が、例えば普通に話したり、役割をこなしたりして人から認められる可能性の期待値を限りなく低く見積もらざるを得なかったからかもしれない。高校のときだって、結局そういう方法でしか人と付き合ってなかったのだから。
長くなった。書いてみれば別にこれがアーサーっぽいとは思わない。
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そもそもなぜアーサーはコメディアンを目指したのか。ちょっと自分の知能が足りてないこともあってか、まだ映画に対する理解が十分でない。
→調べてたら、紹介文に
・・・彼は一緒に暮らす母の「どんなときも笑顔で人々を楽しませなさい」という言葉を胸に、ピエロメイクの大道芸人として生計を立てており、・・・
って普通に書いてた。言ってたっけ。おい!
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それはそうと、ひとりでいるとき気持ちが参ってしまうと急に狂った笑みを浮かべたり、踊りだしたり、そういうのは割とまったく俺と同じだった。
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