raingoesup

「」

2020/04/19

状態は良くない。家から出られず苛立ち、身体はだるくなっていく一方。18時頃に家を出て、歩いて最寄り駅近くへ行く。途中で神社や川、そこで泳ぐ鯉などを見れたのは良かった。必要でない冷やかしをした後、必要な買い物をして、必要はないがフードコートのマックでコーヒーを買って飲んだ。精神を回復させる儀式ではある。蛇行しながら帰った。それほど回復していない。

 

 

何も考えたくないし、そんな状態で何も伝えることはないと思うのだが、かろうじて思考の品質を保ちたいというような下賤な感情があり、考えたり書いたりするわけです。この文章には意味はありませんし、論理も成り立っていない。考えることと書くことの違いがよくわからなくなって、なんとなく考えたままを出力する仕組みが、何かしらでできてしまうんじゃないかと、そんなことがごく自然なこととして出てくるくらいには、思考が歪んでしまっているわけです。引きこもりたくはない。引きこもるのが上手くない。体質的には引きこもるべくして存在しているのだが、とても苦手だ。片付けるのが下手なのに散らかっている状態が人一倍苦手である。人間関係を嫌うのに孤独が苦手である。まったく嫌な性質。

 

 

どうにも無根拠な希望や誇大妄想的展望をとうとう失ってしまいつつあるのが、よくない。音楽の向こうに景色を見るようなことが難しくなっている。せめてああいう感性であったり、真っ白なまま何かを受け取れるような素地があったなら、いくらでもやっていけるような気がするのだけど。本格的に何者にもなることがなかった。普通に真っ当に居ることも遠い。

 

 

順当に言って、諦めたほうが幸せな気がしてきた。諦めというか、もう一段、特別になろうなどという思いを捨てるのと同時に、普通に善良で、何もないなら理想的な倫理を抱え、守っていなければならないというような思いも、一度心から剥がしてしまうべきなのではと。悪いことをして、平気でいることが重要なのだ。これ以上?と思うがそういうのがよくない。

 

 

まったく、普通に世相に押されてしまっている。もっと元気に生きなければならない。言っていることが矛盾しているだろうか。いや、倫理の為の倫理ではなく、あくまで自分の中の願掛けなのだ。ともすれば、もう一度パーソナルリアリティを獲得できるでしょうか。目の前のことに集中すること。他人に期待しないこと。他人を肯定すること。自分の人生に必要なこと。もう少しあるけれど、とにかく、規則正しく生活することとかよりも、更に大切なことが、確かにあって、それだけを前向きに意識していられれば、ぼんやりとした倫理の感覚などは忘れてしまっていい。何かを信じることもその一つで。信じるにはその何かが存在しているということが大切。実在はしなくとも。いや本当、何かを獲得できるでしょうか。