raingoesup

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2020.10.04

3時。シャワー浴びて自治会費を払いに行って冷凍パスタを解凍したのと伊須墨の干物を焼いたのを食べたのち、焦燥に駆られながら虚無の時間を過ごしていて、これは本当にまずいと、PCをシャットダウンして荷物をまとめて家を飛び出した。

家の前の川に小さなエビが何匹かいるのが見えた。少し遠くで親子連れが魚を網で漁獲していた。先週と同じような感じでまた神社へ行って、森を感じる。キノコや花の写真を撮った。いつもよりじっくり、もう構えができているから、立ち止まって色んなものを眺める。大きな川にはたくさんの鯉のほかに鯰もおり、しばらく柵に腕を置いた姿勢で眺めた。その川を辿って、知らない道に入った。水がきれいなこと、魚がいることをシンプルに尊いとか思った。歩道橋にも同じように上る。やっぱりなんだかきれいな気がして。何を嫌っていたのかなあと少し思う。自分にとっても、ちょうどいい文化度合い、自然度合いなんじゃないかと思った。まあ、それでも現状は、あまり典型的に馴染める存在とはいえなくなっているのだけれど。

電車に乗って隣駅へ行く。この気持ちのついでに、同じように安らげるような神社かあるいはそんな類の場所があればと、歩いてみることにした。昔川が流れていたところが、役目を終えて、今は公園になっていた。そのことはなんとなく知っていたが、実際行ってみると思っていたよりも広くて良い場所だった。その末端まで歩く。末端は駐車場になっており、さらにその外側には小さなグラウンドがあって、そのあたりで不自然に道が途切れている。どうなっているのだろうと、そのグラウンドの脇を歩いていくと、裏側は崖のようになっていて、崖の下は昔川だったであろう、草に包まれた空間が広がっていた。奇麗な公園の風景に対して、そこはなんとなく粗雑な感じがした。その脇道はその草道に沿ってまだ続いていた。歩いていくと、おもむろに新しい橋があり、その橋の下には広く交通量の多い国道が走っていた。落ちることを考えながら渡る。その先もまだ道は続いていた。一体工事用車両以外の何者が通るのだろう、というような道が、ずっと続く。それらは途中でいくつも分岐して、その旧河川に絡みつくように存在しているようだった。そのうちの一つに入っていく。ここは入っていい道なんだろうかとそろそろ不安になってくる。そういえばこのあたりにはあまり立ち入らないほうがよいというような地区がある、というような話をぼんやりとだが知っている。まあ、あまり表に出てくることではない。

別の大きな川。名前としてはさっきの古い川と同じようなものがついているが、どういう関係なのか。あれがなくなる前からあったとは思う。まあよくわからないが、その川には大きな橋がいくつもあり、それを渡っては、別の側の歩道に渡ってからその側の川の中を見つめながら戻ってきたり、というようなことを繰り返した。途中、河原に白い彼岸花が咲いているのを見かけた。初めて見た。草に分け入って、写真を撮った。出てきたら服や靴にたくさんの種子が付着していた。

歩いていたら空腹を感じた。駅まで戻る。知らない間に結構遠くまで来ていたらしい。また公園。さっきは途中のところから上がってきて端まで来たが、今度はその端からもう一方の端まで歩いた。もう閉まってしまうところだったが、なにやら売店やシャワールーム、レンタルスペースなどもあるようだった。途中、災害時にはかまどとして機能するテーブルというのがあり、そこに酒類を持ち寄っているおじさん、あるいはお爺さんの集団がいた。やっと見つけたかもしれない。ひそかに、県内でも気軽に野外飲酒ができる場所を探していたのだ。この人の多さ、層、この広さ。ここならそこまで悪目立ちすることなく、そこそこ気持ちよく飲めるんじゃないかと思った。まあ。そんな目で見なくてもいいですよ。

蕎麦屋に入る。入店時、客は自分だけだった。何故かずっとバンプ、それもやや古めの曲の多いプレイリストが流れており、才悩人応援歌やsailing day、Kなどを聴きながら豚つけそばを食べた。ちょっと落ち着かないような、あまりにも耳に馴染み過ぎて逆に心地良く思えないような。バイトしながら聞いたら捗るのかな。次の曲を予想するのとか諸々、大変面白かったけれど。本屋に寄って本とメモ帳を買って帰った。