raingoesup

「」

2020.11.1

昨日は概ね想像したのと同じような状況になった。いくらかましだった部分、予想外のダメージを受けた部分もあったが、まあざっくり、ひどいことになるだろうな、という予想は裏切られることはなかった。帰りに乗り換えのついでに知らない駅の周りを歩いたけど、頭が痛いばかりで面白いと思える風景にもあまり出会えずだった。気持ちによる感じ方の違いの影響が大きい気はする。

そして今日。何も覚えていないような、すべてのしかかっているような、よくわからない意識が続く。パスタ作ったりコーヒー淹れたりしてるだけで結構時間を消費してしまっている。その洗い物をするエネルギーがなく、ビールを飲んだりした。わかっている。

夕方、かろうじて家を飛び出す。確かもうほとんど暗くなりかけていて、黄色の記憶はほぼない。いつも夜中に歩くルートでもと思って、そのように歩いた。ほんの少しだけ、家の中で凝り固まっていた意識が、外の世界にあるように広がっていくのは感じられた。これがないと本当やってられないのだけど、今日の昼頃は別に出なくていいかとも思っていたので恐ろしい。

平和堂に入りうろうろして最終的に何の用事もない駐車場に侵入して、本来乗る必要のないエレベータに乗った。うろうろでは、食料品売り場の風景や建物外観の変わらない様子を見て、昔を思い出した。変わらなくてもいいものもあったんだ。そこで感じたのは安心だったろうか。単なる懐古だったろうか。2Fの本屋はなくなって、3F階の玩具売り場もおそらく縮小して、その代わりに謎の空間があらわれたりしていた。まあそのようになります。そういえば商店街の方は結構新しくなっている建物や店が目立った。そのように。まだ歩く。コンビニ前では座ってアイスを食べているらしい二人組がいたのでスルーして、サンミュージックの前にやってくる。缶コーヒーを飲んだらこれが結構おいしく感じた。自分で豆を挽いて淹れているやつには、やはり足りない味があって、その点でこの缶コーヒーにも負けているというのを感じた。店の中に入る。出る。煙草を吸う。煙草を吸うとひどく落ち着いた。週で最大1本というような吸い方でも、やはり依存性があり、身体に影響を与えているからそういうような結果になるのかわからない。気持ち的にはもう少し近くにいてほしいと思うけど、今後も距離感は変わらない気がする。駐車場から見える月はきれいだった。

帰ってきて、アマゾンプライムでなんとなく見始めた「僕らは奇跡でできている」というドラマの続きを見たりした。今の自分には合っているような、無理矢理そう思っているような、すくなくともそういうフィールドには上がってくるような作品だった。主人公の服装を真似したい。寝る前のしぐさもやりたい。宗教を求めすぎている。人のことは考えられていない。

明日行ったら休みらしい。よくわからないが、やっていきたい。