raingoesup

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2021年4月11日

午後4時。昨日と同じくらいの時間、昨日と同じように神社の敷地内の林を歩いていた。解像度が高いことを意識して、水面で口をパクパクさせる魚のように、その空気を取り込もうとする。見上げると、自分の想像を超えた複雑さ、個性を持った想像を超えた数の枝や葉が目に入る。こんなにたくさんのオブジェクトを作って無事でいられるか?どういうわけか自分の脳はそれを上映している。そんな機能があるのか?

少し歩く。懐かしいような気持ちは、春の暖かさでいつもより強く浮き上がってくる。小さいころ、祖母や叔祖母に連れられてこのあたりを歩いていた記憶がある。今はもうこの世にはいない人なのだなあ。自分はそのあたり、本当に理解できているんだろうか。自分のあいまいな生きざまに問いかけざるを得ない。

川。いつもたくさんの鯉と、たまに鯰などが混じって泳いでいるのを見ることができるので、よく見ている。昨日今日は水がきれいで良い感じだ。その川に沿うような形で、神社との間に大きなマンションが建っている。いつくらいだろうか、10年くらいだろうか、それくらい前にできた。ということでその前も知っている。その前は、神社から続くような感じで川べりを自由に歩いたり、そこで魚を釣ったりもできたのだが、今はその川辺に進入したならば、マンションの周りをうろついている不審者になってしまうな、といつも思っていくつかのことを諦める。最近はちょうど住居を探していて、別の駅の別の川の近くの部屋などいいなあなどと思っていたが、こんな風に川べりに沿って建てられてしまうと、住んでいる人にとっては川の近くの部屋を得ることができるが、それによって失われるものも大きい、ということを少し別の角度から考えた。