raingoesup

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とりあえず明日前向きに行けるくらいの状態には回復。昼間コーヒーを服の山や畳にぶちまけてすべてが面倒臭くなったこととか、晩行った中華料理屋でのみすぼらしい思いとか、まあそういうものがあったとしても、それはそういうものだよ。自分もまだ賢い人に混じって研究や勉強に没頭できるという幻想から幾度となく受験めいたものに気持ちを持って行ってはすべて始まる前から失敗したり、自分も創作めいたことがやりたいできると思ってコミュニティに片足だけ突っ込んだりして結局何もせず歳だけとったりしたけれど、それもそういうものだよ。これから就活でどのような新しい、または使い古したような失敗や後悔、絶望を味わったとしても、そういうものだよ。過去や起こってしまった失敗に対して、人はただ無力であり、自分自身に対しその後の生き方で責任がとれるというのも幻想の一つ、かは知らないが、それくらいのものだという雑な認識にいる段階で明日への活力を得て、思考をとりあえず保留する次第です。

同期の発表がそれっぽかったり、どぎつい指摘をされて院生としての存在意義の薄さをはっきりと感じさせられたりしたが、基本的に発表にも議論にも問題はなかったと思う。肯定。久しぶり話した後輩との話も、問題はなかった。本筋以外のところでかなりまた暗い影も見えたが、気にしなければ問題はない話。/就活についても、昼間は電話かかってきて面接受けますって答えた後にやっぱりどうでもいいなと思ったり、受けたいと思っていたところの折り返しに出てもらえなかったり、価値がなくてよくわからなくなったりしたが、諸々の問題は工夫によって半分くらいはみかけの解決をみているので問題ないと思う。/すべてがうまくかみ合ってうまくいっているとは到底思えないが。

前回のを書いてから書くことがなくなってしまった。書かなくてもそれなりにやってはいるようになった。今困っていることは、価値が定まらないことですかね。結局のところそこに行き着く。大学入るときも、その後の色々のときも同じなんだろう。結局まともに人と交わっておらず、考えることもせず、価値基準がぶれまくり、変なところに針がふれて落ち着いたかと思ったら、後悔している。そのときそのときで何かを捨てていたように思うのだけれど、その思いが今の行動にまで決定力を及ぼさない。人としての連続性とは何か。全然わからなくて、今日も集団でのふるまいをほんの少し危うくして過ぎていった。

明日は発表。楽しく、なるべく滑らかな喋り・議論をしてみたいですね。そのための楽しい道具を持ち込むことを密かに企んでいるんですけれどね。どうなるんだろうね。まずは人を肯定するところからって、狂ったように書いておけば思えて、俺は助かるんじゃないかって思っています。

好きな人たちを大切にして、にこやかに生きたいですね。暗さは、たまに共有できる人がいれば共有できればいいです。一人で持つのは身に余るし、何もいいことがないのでやめます。好きな人たちというのは今は全然面識もなく、僕の勝手な思いで、危険ですらあるのですが、まあ嫌いな人を嫌うよりはいいことですし、いいです。遍在転生、全員が私であるという意識を持って、誰にでもなりえてしまうし、誰にでもなれるのだと、その点で謎の自信を持ってみたいですね。色々極端なことを言いましたがそれはどうでもよく、にこやかに生きたいですね。濁った目がいつか晴れるといいな。まあ半死人間、ダメ元ですので、いつか、あわよくばですが。

胸糞悪い出来事があったり、コミュニケーションにまた不穏を感じたり、容姿の老け具合に絶望させられたりと色々ありました。

やることはまあ、他者を肯定することで自分も肯定して、やることをできればやっていけばということだけです。ということでお酒を少し入れて、十分に寝ようと思います。

 手先を動かし、動かした手先で柔らかな音色が奏でられると、とても気分が落ち着き、脳が活性化するものです。だから今もやっているのですが。まあゲームとかに比べると他者がなくて負けもない世界なので、調子が悪くてダメだったとしてもそれ程ダメージはないという良さもあります。それでもダメなときはマイナスの効果しかありませんが。自分は肯定されているので、調子が悪いので仕方ない、下手なわけでも、芸術を理解できない、努力もできない人格がずっとあるわけでもないということになり、助かっています。

とにかく助かります。そう、こういう風に価値を考えることができるというだけでやっていてよかった、貴重な体験です。価値を考えることができれば、肯定することができる。よかったです。

総括することが憚られる。精神は安定していない、と総括することも難しい。なんだったっけ。朝に学校行って掃除して、話を聞いて、自分の反応は薄くて、面倒ごとに首を突っ込んで何もできずそっと引っ込めたりした。その後もずっとまた話しながら過ごしていたけれど、そのふるまいは何もまともな自分のレベルに達していないんじゃないかという気がした。まあ総括はできないんですよ。

生存のために無条件に自分を肯定すること。そのために他人を無条件に肯定すること。楽しい?無条件に楽しい他人が楽しければ自分も楽しいといえる?そういうことはそんなに無いけれど、とりあえず降り積もった過去が本当に意識から払えればそれだけで相当、楽しくなりうるはず。生まれたてなのだから。我々は生まれたてではないが。記憶からではなく、意識から泥が消え去ればいいだけの話。ただそういう成功がとるべきパターンのイメージだけを確かなものにしていく今日。

9:30~10:30及び17:15~19:15という変則的な勤務パターン。春の陽気が顔を覗かせ、窓を開ければ爽やかな空気が吹き込んでくる今日、間の時間を有効に使うことはやっぱりできなかったが、極めて質のいい昼寝が発生した。時間にして30分程度だったが、何物にも変えがたい幸せ。Aurvana AirBORISのNOISEを聴いていた。