raingoesup

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まあ明日はそんなに憂鬱なことはない。体感としてはそう思っていないが、事実はそうだ。おじさん一人に怒られることが確定していても、別に大した問題ではない。おじさん一人の評価はおじさん一人のみであって、他に直ちに波及することはない、というのが最大の理由だ。朝早く起きないといけないとか、多くの学生の前に姿を晒さなければいけないとか色々あるけれど、割のいい仕事であることを思い出せば、比較的容易に精神的折り合いをつけることのできる事項だ。

小説やアニメを見た後に、読後の爽快感を引きずったり、その後の思考文体がその主人公のものっぽくなったりというのが少なく、これに限らず、そういう入り込めなさが、今の幸福感、充実感の不足に繋がっているような気がしている。

ところで今の自分の思考文体ってどんなだろうと思うが、これがまあ最も近いのだろうな。拙いが、本当はもっと、簡単に推敲できない分雑然としていてより拙いと思う。これは脳の構造なのか知らないが。頭の中だけで考えるというのを皆やってのけるけど、全然無理だ。まあそれはそういうものだとして全然やっているので放っておいてほしいと思うけど。

思考文体の話だ。これはまあ特定の何かに一時的に寄るということは少なくなったにしろ、まあ入力されてきたものをちょっとずつ取り込んで、まだ変化の途中にあると思っている。その変化を、外乱に左右されず制御するというのは難しいから、気に入らない言語に晒されることはとてもだるいというのは、大学入学してからずっと思っていることだ。

今日本を読んで、考える方法が分かったけど、今の問題からしてそんなにじっくり考えることもない、と思ったのだが、しかしまあ考えようと思えば考えられるのかな。全く変わらない景色に美しさを見出す方法とか、さっきの話で言うと、自分なりの言葉を持ち続ける方法とか。そうかもしれない。ただ、現状の優先順位は低くて、消え去ってしまう。いや、ずっと思っているのだから消えていないはずなんだけれど、いい結果は得られてない。

ただここでやっと考え続けるときのイメージが分かった気がするし、意味を持つなら、どこかで考え続けたいと思う。

そんな様子で考えていることがあるなら、やることがあるなら、こんな泥の心になることもない気がする。根本的問題に触れず、様子が明るくなったところでまたこんど。