raingoesup

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2020/05/10

痛みを忘れる。解像度が低くて助かることもある、のだろうか。ぬるりとまた在宅勤務で週が始まっていく。もう少し先まで、といわずとも明日の詳細にまで意識を伸ばせば、警戒すべきことは無数にあるはずなのだけれど、現状では腹痛から復帰して白湯を飲んでいる風呂上がりのあたたかさと爽やかさのうちにか、誤魔化されている。

 

 

 

 

金曜日ぐらいからの宗教としては、鬱になるくらいならぶち狂ったほうがまし、みたいなものがある。細やかな人間関係とか、どう思われるかとか、本質的にこうあったほうがいい、みたいなこととかをすっ飛ばして、調子を上げる。いや、何かうまく表せていないな。アウトサイダーだとか、狂った人間なりの幸せだとか、自分の中のキーワードとしてはそのあたりが近いのだけれど、新しい要素もいくらかは含んでいる気がする。

 

 

 

変わったこととしては、自分が今、本当にどうやってもパフォーマンスを発揮する必要があり、それに全振りしていい理由があるということが挙げられると思う。本質的に自分が良くあるにはどうするか、というような見方に今までだと少なからず影響を受けていたと感じる。今はというと、確かにそれが本当は必要なのかもしれないけれども、でも結局は自分を守れるありかたというのは、何でもいいから仕事を続けるというところにあって、それだけで正しさがある程度担保される。

 

 

 

いやまあこういう観点も少し違う気もするし、どうでもいいな。正しさについて結局考えてしまっている。考えようとも思わない、というのが今。

 

 

 

なんだかんだ言っているが、結局素面で生きられないなと思ったんでしょうかね。まあ方向性を間違えなければ、常に幸せであれる気がするし、そういう割り切りの良さみたいなのが今の状況の煮え切らない部分を切り開いていく、というような希望的観測があります。やってみてもいいんじゃないだろうか。

 

 

 

 

うまくいくといいですね。