raingoesup

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途中記

10時頃だったかくらいに起きて、昨日読んでいた漫画の続きをkindleでだらだら読んで、シャワーを浴びた。

気持ちを整えないといけない。休日のとりあえずの最優先事項。それは休むこと、といっても間違いではないのかもしれないけれど、そちらのほうがぼんやりとしていて、具体的に何をどうすればいいのか難しく感じられる。いやまあ、それを言ったら気持ち云々というのこそ難しい、とも思えるのだが。少なくとも目的や方向性みたいなものは、わかりやすくなる。

それで、お湯を浴びながらそういうことを考える。浴びる前や、浴びてしばらくたった後などよりも、その時間のほうが、いくらか前向きな思考が出てくる確率が高い気がする。

仕事で求められることは、社会は、向いていないなと感じさせられる。何か前提を間違えた根性が自分の中に定着してしまっているような気持ちにさせられることが多い。それと、まあこんなにやってきたことが何も役に立たないものか、などもある。間違えた、という気持ちはどうやっても消えない。単純なことのようで。いやそれこそ、根性が間違えてしまっているからか。

それでも。まあとりあえず借金があって、それはどうにかしたい。これを順調に減らし続けられているうちは、許せる人間でいられているのではないかと思う。今思ったことだが。

それで。いや改めてまとめようとすると、考えて道筋をたどっていたときは、色々なことを回収せずに進んでしまっていたことがわかってしまう。

もう少し焦点を絞って考えていた。どうするべきか、というようなところに。

とりあえず、感情をオフにすることは重要かもしれないとここ数日で、というか金曜日くらいに思った。まともに受けることは本当に自分には無理らしい。それで。

いやいけない。忘れてしまった。あの時は、浴び終えて身体を拭いている途中に窓を開けると、台風が接近しているせいか少し強くなっていて、かつ秋を感じさせるようなさわやかな風が吹き抜けて身体を乾かして、とても心地良く、解決したような気になったのだけど。

考える。いやそう、それで。

言うべきことは色々ある、正しいこともある。ただ、ひとつの方向性にまとまらなくなってしまっている。

そうか、その作業こそが気持ちを整える、と言っていることの正体なのかもしれないな、と思う。正しいことを探すだけではいけないんだ。それを運用できる形にまとめないと。整わないまま進めるて傷を受けると、おそらく何か重要な、回復不可能なポイントが減っていく。逆に言うと、それを軽減させるための何かである。

なんとなく漫画を読んで得た、今までになかった方向性としては、神の概念を信じたいということ。昔少しだけあった、宗教にはまりたい、ではない。そのあたりも含めてですね、考え、まとめられたらと思うんですが。