raingoesup

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2023/05/08

朝。おかしな時間に寝たが、まともに起きることができたといえる。3000貸しているうちの500だけが返却される。いつ返してもらってもいいから、できればまとめてもらった方が管理が楽なのだけど、まあどちらにしてもどうでもいい。ただ受け取ってメモを更新すればよい。そういう音も交じりつつ。先週木曜くらいに踏み抜いたプラスチックを寄せ集め、それをラップでくるんで、なにもないかのようにしてしまう。ラップでぐるぐる巻きにされていて、なにもないなんてことはないので、近いうちに動くべきだが、その安定感はそれなりに頼もしくて、別にこのままでも良いかという気にさせるレベル。割れる前よりも安心感が高い。そんな音も鳴らしつつ。それなりの速度をもって駅に滑り込む。昨日の(ところによっては今日も、の)雨のせいで遅延が発生する。15分遅れをもって会社になだれ入る。別に何ともならない。腹が痛かったが他は別になんともなく、蒔かれた種を回収するように仕事をする。一件気が重いまとめ作業と相談があり、それに着手するときはかなりだるく感じたが、なんとなく進んだ。その相談を持ち掛けるために、別のタスクに言及、回避するつもりだったが流れで取ることになった。流れていってくれるなら何でもできそうな気がする。変な心理的な障壁が無いのは良い状態に思える。迂闊であったとしても。ただ、振り返ってみてそういうのが本当に迂闊だったことって、割合的にはそんなじゃないんじゃないか?動いていきたいと思う。こなせている感じがすべて幻覚だったとしても、それにうなだれることなくやっていきたい。幻覚のままやるにしろ、改めるにしろどちらでも。・・・風呂に入っているときに、ふと小学校のときの日記にこのブログのような形式で書いたらそれは怒られたことなのかなと思った。思った理由は、最近は日記にタイトルをつけることをしなくなったなと思っていて、その理由は、タイトルをつけることでテーマが決められてしまって、それは真に日記と言えるものではなくなるのではないか、というような念で、小学校の日記は、タイトルが必須だったかもいまいち思い出せないが、多分つけていて、それでテーマが決まって、特定のテーマに沿って書いていたような気がしたからだった。気がしたが、別にそんなこともなくAの後、Bしたと書いていた気もする。じゃあこのブログでも良い気がするが、2文手前のような崩壊した日本語では少なくとも粛清対象なんじゃないかと思う。添削というべきか減点というべきかなんなのかわからなくなって一番しっくりするけれど絶対違う表現を選んだ。・・・そのような日記とは別に、小5小6のときは5行日記というのを毎日書いていた、というのをふと思い出した。やっているのとやっていないのでは文章能力に差があったろうなと思うので、当時の担任の教育方針には感謝が湧く。こうやってカスみたいな文章をたくさん書いている人間が言っても説得力に欠けるが、それでも文章能力のみによって生かされている部分もあると感じるので。そのような健康的な習慣がやっていけるといいですねえ。ある程度面白味があることで苦痛が無いようなものがあればいいんだけど。そういう意味では気まぐれに始めた英語学習はそれに近いような営みのような気もする。なんかやっていく。そんなところ。まあ優先度をいまさら間違える必要もないので、そこは気まぐれで。なんかやっていく。