raingoesup

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2020/05/24

浅くなるのが怖いから、寝るべきかもしれない時間帯に文章を書こうとする。

なんというか、自分の中の味だとか面白みみたいなものを失うのがとても恐ろしい。

事実、自分の会社での振る舞いというのは何の面白みもないし、生放送だなんだとインターネットで口をひらいてみても、本当につまらない、月並みな社交辞令のような言葉しか出てこない。

 

 

 

 

 

昨日今日といずれも12時ごろに起きた。昨日は何をしていたかすぐには思い出せない。今日はやっと届いていたコーヒー用のビーカーを使用してコーヒーを淹れ(たものを受け止め)て、その後家族が家用のPCを(給付金を使用して)買うというので見繕って注文した。

Ryzen5(or Core i5)以上、SSD256GB以上、メモリ8G以上の15インチノートという条件でなるべく安いものを探して、lenovoDellかHPかぐらいの3択ぐらいになり、結局これにした。

kakaku.com

光学ドライブや有線LANポートもついている、今となってはちょっと古風な感じもするが、まあ持ち運ぶわけでもないし、全部ついてるほうがいいかと思い。

ryzenが第一世代なとことかは少し気になるものの、まあかなりコスパは良い部類なんじゃないか。知らんけど。

自分が昨年PCを買ったときに比べてあんま迷わなかった。まあこれぐらいが適当なんだろうな。いつも本当に何買うにしても滅茶苦茶迷い過ぎていて、時間を無駄にしている。

納品日は1か月後くらいが記載されていたが、まあもう少し早く届くと思う。楽しみですね。

 

 

 

 

 

 

そのあとはまた先週と同じように最寄り駅の近くへ行ってうろうろした。

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市民ホール的なのがあるんですね。その周りはなんだかコンクリートと緑の取り合わせがきれいで好き。人は中途半端にいるのでなかなかびびってしまい写真がとれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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あとなんか意味のわからないブクブク。なんなんだ。なんとなく菌の類のような感じがするけど。これも全然道だったので、一度見かけて素通りして、ぐるっと回ってきて一瞬立ち止まり、撮ってすぐ歩き出した。そのほうが意味わからない動きじゃないか?

 

 

 

 

 

 

 

まあそんなところです。全然これで意図した「面白み」とか「味」とかがあるのか、それにつながるような行動になっているのかというのは分からないが。

写真がないほうが雰囲気が出るかとか、そういうことも考えますが、まあなるべく新しい方法とかを使うようにはしたほうが、脳の固着を防げるようにも思うので使ってみる。それじゃあ、より撮るときのハードルは下げていったほうがいいですね。悩む時間というのはやはり無駄で。むしろそういうところがつまらない人間である直接的な原因になっている。

 

 

 

 

 

 

よかったですね。やっていきましょう。

2020/05/19

在宅でないときよりも2.25時間ほど遅く起きた。仕事。面談。コンピュータによるメモが通用しない分野になってきたので久しぶりにノートに書いて勉強する。院の頃ぐらいから快調に字が汚くなっている。いつもは線の上に乗せる意識で書いているが、今日は線と線の間に収めるという感覚で書いたら、ちょっと全体から受ける汚い印象はましになってきたように想う。それでもボールペンで書いていて2秒ごとにミスをするので全然汚い。

 

 

 

 

 

注文していたビーカー型のコーヒーサーバと蓋付きステンレスマグが届いた。ビーカーは洗っただけでまだ使っていない。マグは今ルイボスティーを飲むのに使っている。たくさん入るのと、蓋を使用して蒸らすことができるのは、期待していた通り。外側に触れても内容物の熱を全く感じないのが新鮮だった。ただ蓋を外していても冷めるのが予想より全然遅くて、入れてしばらくは飲めないか、飲んでやけどをするかという時間を過ごすことになった。もちろん適温(ぎりぎりやけどしないが、速くも飲めないくらい)が保持される時間も長くなったので、その時間はいい感じで、こうやっていつもよりゆったりとインターネットの記事を読んだりしながら過ごすことができた。語彙。

 

 

 

 

勤務中はアーとかウーとかビャとかバーッとかその他わけのわからないことをたくさんつぶやいていたり、10秒に一回笑顔が発出されたりするようなことが多くなっている。甘いものもたくさん食べる。(今日久しぶりに食べたけどぷっちょうますぎる。)キッチンタイマーをつけたり止めたりしても、過ぎ去った時間を正しく解釈して受け入れることは難しい。

 

 

 

 

危ない橋を渡り続けているような。まあ毎日ちょっとずつ心配なことも過ぎ去って、少しだけ肩の荷が降りて。そうして荷の積み下ろしを繰り返している(積み下ろしって下ろすだけか?)うちに精神が慣れていったりするもんでしょうか。もうちょっとだけ狂うか慣れるかしていきたいところがある。

 

 

 

考えるべきでないことを考えないようにして今を生きることは、とりあえず今の瞬間において完全に正しくあってほしい。考える余地もないほどに。こうやって気づいたらまだ全然つまらない人間が歳をくって存在しだすんですか?まあ余地はないので、やっていきます。わからないことをインプットしたり考えたりするのは多分苦手なんだろうが、わかっていることを組み合わせて何かを作っているような気分になれているときが楽しい。そんな言い方しなくても別にいい。時と場合によるが、楽しいときは楽しいものが普通に楽しいのでそういうときは嬉しいし幸せだ。まあやっていきましょう。

2020/05/13

・昨日は仕事を終え、ミックスナッツを食べてからフィットボクシングをしたら腹が死んでしまった。なんでナッツを食って動いてしまうのか?人類は。

 

・いつもはモニタの前に座って書いているが、一日中そのスタイルでいるのもだるく思えたりして、今は寝転がりながら書いています。質感が異なることがあれば、おそらくその影響が強いでしょう。

 

・仕事はぼちぼち。在宅環境のうちに、色々な社会性のなさが隠され、誤魔化されているというのはありそう。

 

・ともあれ、精神の向かう方向は常に良くない。どうやってもそんなにうまくは溶け込めないんだろうなと諦めることで思考を止めるというようなやり方で眼の前に集中して、今は事なきを得ている。(得ていない。)

 

・一つの問題については、これはもういい加減タイムリミットを設けるべきだ。そう、業務が本格化する7月までには遅くとも、手を打つことにしたい。そっから見えてくるのはどんな未来なんでしょうかね。明るくはない。

 

・ゲームにしろ何にせよ、自分は物事を設計通りにこなしたり楽しんだりできたことなど一度もないのではないかという風に感じることが多い。なんとなく狂ったように楽しんでいても、本当に他人がやっているようには音楽をやれたことも聴けたこともないだろうし、もっと根本的には、人生や学校制度についても、やはり何も理解しないまま拙い真似事をしてやってきただけであると思う。こんな風に書くよりも、単純な能力不足と解釈するのがより適当とも思うのだけれど、実際この二つはそれほど違っているものとも思えなくなってきた。普通について、というような話をもう少し書きたかったけれど、イメージに反して醜いだけの文章になりそうなのでこれくらいにしておく。そういうとこだぞ。

 

・狂った人間なりの楽しみを探します。少し元気なときならそれでやっていけます。適当なコーヒーを入れて、味のわからないお酒を飲んだりします。でも、わかっていることまでわからないふりをするのはもっと頭を悪くさせるし、よくない。狂った人間なりに矜持を持って、表現するときは表現するなどして、やっていく。それがこういうことだろうが。

 

・腹は悪いのだけれど、それで今日朝のコーヒーを飲まずに業務に取り掛かろうとしたら、まるで何も始まらなかった。そういうことがあって、コーヒーを飲むことは正当化されるんです。それでやっと、欲しかったマグカップやコーヒーサーバを買うことにも踏ん切りがつきそうで、いやはやそういうことは何にせよ良いです。やらない言い訳を探すのはよくないが、やる言い訳が湧いて出てくる、引き寄せられるように出てくるとすれば、そういった態度も悪くないような。ちょっと何言ってるかわからないが。

 

・そんなこんなしているうちに、明後日にはリモート雑談会やら、リモート飲み会やらが迫っています。あー。白日の下に晒される。まあ気負わずにやっていきましょう。

2020/05/11

変な夢を見てた気がする。遅めに起きて、今朝は散歩には行かなかった。仕事。過ぎていく時間と状況把握のままならない状況に気が滅入る。2時3時くらいがつらかった。昼になんとなく買ったモンスターを飲んで1時間ぐらいしたら安定してきたので、遅くまで粘る。状況はある程度分かったような、誤魔化したような、わからないような。普通に嘘をつかずにいることは難しい。自分の能力のなさ、思慮の無さや、何もわからず呻いている姿ををそのまま晒すのは。でもまあ、最近は晒すことにもある程度慣れてきたけれど。晒す中で成長していくんですか。どうなんですか。呻いてしまっているのは隠そう。うまいこと隠す。自分の意識からをも。狂った人間なりの幸せを優先しつつ、狂った人間なりの体裁も、気負わずにやっていく。狂っているんですか。大げさでよくないのですか。

 

 

 

 

 

性格が明るいのでフィットボクシングをやっている。あんなのは性格が明るい人間しかやらないだろう。ばかみたいな。偏見がひどい。ばかにするな。個人個人が誰にも迷惑をかけず、楽しく健康でいようとすることを、ばかにすることなかれ。いや言葉がよくない。だからツイッターも向こうからフォローしてきて一時期良い感じにいいねとかつけられても、去っていく。言葉が汚いのを許すのか、許さないのかは自分がどんな人間でありたいかというのと密接に関わると思う。どっちなのか。いまだにわからないな。汚いほうもある程度良さは分かるし、それでも品位を保っているような人が好きなんだよな。

2020/05/10

痛みを忘れる。解像度が低くて助かることもある、のだろうか。ぬるりとまた在宅勤務で週が始まっていく。もう少し先まで、といわずとも明日の詳細にまで意識を伸ばせば、警戒すべきことは無数にあるはずなのだけれど、現状では腹痛から復帰して白湯を飲んでいる風呂上がりのあたたかさと爽やかさのうちにか、誤魔化されている。

 

 

 

 

金曜日ぐらいからの宗教としては、鬱になるくらいならぶち狂ったほうがまし、みたいなものがある。細やかな人間関係とか、どう思われるかとか、本質的にこうあったほうがいい、みたいなこととかをすっ飛ばして、調子を上げる。いや、何かうまく表せていないな。アウトサイダーだとか、狂った人間なりの幸せだとか、自分の中のキーワードとしてはそのあたりが近いのだけれど、新しい要素もいくらかは含んでいる気がする。

 

 

 

変わったこととしては、自分が今、本当にどうやってもパフォーマンスを発揮する必要があり、それに全振りしていい理由があるということが挙げられると思う。本質的に自分が良くあるにはどうするか、というような見方に今までだと少なからず影響を受けていたと感じる。今はというと、確かにそれが本当は必要なのかもしれないけれども、でも結局は自分を守れるありかたというのは、何でもいいから仕事を続けるというところにあって、それだけで正しさがある程度担保される。

 

 

 

いやまあこういう観点も少し違う気もするし、どうでもいいな。正しさについて結局考えてしまっている。考えようとも思わない、というのが今。

 

 

 

なんだかんだ言っているが、結局素面で生きられないなと思ったんでしょうかね。まあ方向性を間違えなければ、常に幸せであれる気がするし、そういう割り切りの良さみたいなのが今の状況の煮え切らない部分を切り開いていく、というような希望的観測があります。やってみてもいいんじゃないだろうか。

 

 

 

 

うまくいくといいですね。

2020/05/06

朝は10時くらいに起きて11時頃から会社の作業をした。1時間強やった後、フィットボクシングの体験版(デイリー2日目とフリーモードのコース1つ)をやって、昼飯を食べた。ギターを練習して、作業を再開した。進捗はまあまあ。ギターと昼食は逆だったかもしれない。

 

 

 

 

 

夕方6時頃になってまた歩いた。最寄り駅の方向。神社がある。敷地は広く、そこそこ広いグラウンドがあり、木々があり、その中に池があり、その横には林を横切る道があって、この道は好きだ。古い木製の街灯が立っていてノスタルジー。その道を抜けると木々で薄暗くなっていつつも遊具が並んでいる。その横長の公園と並行して、道側に小道があるのは知っていたが、その反対側、森のほうにも並行して小道のような空間があることを今日初めて知った。嬉しくなって、写真を撮る。その道をずっと行くと、それを横切る形で砂利道があらわれる。神社としてはこの道がメインの空間だ。砂利道を歩いていく。春は緑が美しい。多分楓、だと思うのだけれど、あの見覚えのある形のある葉がきれいで、写真を撮ろうと近づいたら、まさにその意識の中心、ファインダー(ではない)の中心に毛虫がいて、震え上がった。とたんに周りの木々に抱く不快指数が増す。でも今度は神社の建物、空間自体の美しさにみとれて、忘れていった。車が止まっていて、男がなにやら身体をほぐしていた。もう一人いた。睨みながらだったか、そうじゃなかったか忘れたが、横を通り過ぎる。やはり人は少ない。昼間でこういうことは珍しかったので、タイミングとして適当だったので、社や門の写真を撮る。もう少し歩くと、土俵がある。その横に入っていくと、トトロの木がある。トトロの木というのは、この神社の御神木である大樹で、幼稚園のときに幼稚園の人がそう呼んでいて、自分もそう呼んでいた。当時はまさしくその名称がふさわしいと思わせる巨大さを感じていたが、やはり今見てみるとそれほどは大きくない。けれども、尊い存在であることは確かに思える。近づくと、根本が少し盛り上がっていて、そこには落ち葉が存在しない。下のほうにまで枝葉が伸びていて、葉は思いのほか新鮮な色かたちをしていたと思ったが、さっきの毛虫の件があったから少し気持ちが悪くて、そこまで近づけなかった。更に道の奥に進む。別の建物を撮る。手を合わせたりはしないんだなあ。進んでいくと、思ったようにちゃんと池のあるほうとつながっていた。実は歩いた順序としては公園の横の道が最初で、グラウンドと池のあるほうにはここで初めて到達する。空間描写と行動順序がかみ合っていなかったのだが、案外なんとかなりましたね。

 

 

 

 

 

 

 

駅の方へいく。図書館の分館が閉まっていることを確認する。その建物から別の建物と駅の方に、2階の高さの歩道が伸びている。(知らなかったが、どうやらペデストリアンデッキというらしい。)歩道から夕焼けが見えて美しかった。いつもは自転車なのでこの歩道にくることはないが、そこから見る景色は、いつも疎ましくも思うものも含めてとてもきれいだった。写真をとる。人もいるので少しやりづらいが、でも少ない。駅の方へ歩いていって、駅と夕焼けをきれいに収める場所を探す。撮る。躊躇しながらも、駅自体なども含めて撮ることができた。駅に一瞬入って、折り返して出る。だんだん何をやってんだかと思う。不審者的行動ではある。引き返して出ると、さっきの写真撮影スポットにおばさんがやってきて、同様に写真を撮っていた。嬉しくて、また写真を撮る。仲良くなりたいなあ。妄想を繰り広げつつ、戻っていく。デパートに入って消毒して百均に行ってコーヒーのドリッパーとフィルターを買って消毒してドリップポットを探して無くて消毒して出た。もう1回神社の林の中のノスタルジー道を通って帰った。いや、さっきは実際には通っていないので1回目だった。