raingoesup

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2019.11.25

好調とも不調ともいえない。朝起きて学校へ行って、発表の準備をした。髪型やコミュニケーションに大きな問題はなく良い感じ。本番の発表会にも向けて、格好のいいわかりやすい説明を色々と考えて、試してはいるが、今回はまだ納得のいくレベルまで切り詰められてはいない。

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フラットに問題に向き合って、それ以外に何も語るところがないというのは、ある種理想的な気もするけれど、実際、ライフワークに近い日記で何も面白いことが書けないというのは、どこか決定的な物足りなさを感じさせる。

実際、物足りない。長期的な目標はうっすらとできたけれど、それだけで何かが成せるというものでもない。

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黙って日々を過ごし、またそのことについて何らかの気を揉んだり負ったりすることもやめるべきなのかもしれない。

物足りないのは、問題に向き合うことにもう真剣になれていないからだと思う。それは僕にとってもうしようがない。そこはもう、しょうがないと思おうというのが僕としての希望であり、決まった方針である。

ならば、その虚しさにいちいち驚くべきではない。

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昨日、やはりもう何百円か消費して、プリンちゃんを回収しておくべきだったかなと思う。必要なのは精神的支柱。そこに自らの、いつもと違った行為や意識の結果が反映されているならば、なおさらそれは新鮮な、効力を持ちうるものになるだろうと思うから。

今日のところは、もう一度あの場所へ行くこととか、それに類するところへ行くこととかを想像して、お茶を濁しておく。

2019.11.24

重い身体を起こして高速に動かし、なんとか電車に飛び乗る。障害者芸術の展示を見に行く。地下通路には、地元の芸大の作品が並んでいた。ギャラリー。それなりに入りやすい。期間中何回も来ている常連だか、運営側の知り合いだかみたいな人がやってきて話していて、そういう感じで会話に巻き込まれるのかなあここは、とか思いながら一階を見る。期間最終日だったから写真を撮らないと、といってその知り合いだかみたいな人とおそらく同一の人をモデルにカメラを構え、どの絵を見てというような構図を指定している、その向こうで、柱に隠れるような形で見た。二階。それとは別に、カメラで作品を撮影しているらしい一般来場者(個)がいたので、いいのか、と思いおそるおそる写真を撮る。もう一度一階にも戻って、気になった作品を写真に収めた。結局、写真か何かが残ってないと、そこで受けた印象とか、作品ごとあらかた忘れることになるので、ありがたい。そういったことも手伝って、展示は全体的に興味深く、楽しめた。

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城の前にはありえないほどの人の列。周囲を見てみたが、何にそんなに並んでいるのかは、結局わからなかった。

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しばらくさまよう。城の前では、いつもの京都らしく、歩いている人の顔を見るだけで憂鬱な気持ちになっていたけれど、主要な駅の近くまで来てみると、そういった気持ちは薄れてきた。前にも一度ライブを見に来たことがある。雰囲気のいいライブハウスだった。何故かドーム状の屋根を持つ駅とか、その周りの広い道の感じとか、駅前ビルに入るテナントとか、映画館のある商業複合施設とか、京都の中心地からさほど離れていないのに少し地方都市的な印象がある。本屋へ行き、カフェに入りたいと思っていたが、両方先述の複合の中に含まれているらしかったため、自らも複合されることにした。それほど大規模でない本屋へ行って、『騎士団長殺し』第二部の上巻と、付箋と、マスキングテープを買った。誰かが歌っているらしい音が聞こえてきていたので、二階に上がる。ゲームセンターだった。その前でよくわからない人が歌っていて、よくわからない男たちが見ていた。いいですね。よくわからない人がタピオカ飲料を配していた。もう一つ階を上がると、駐車場と、簡単なクレーンゲームのようなものがいくつかあった。その上は映画館。ロビーを見て、エスカレータの反対側まで回り、下った。まだ歌っていた。なんとなくゲームセンターに分け入った。昔はガラの悪い場所、というイメージだったけれど、そこは全体的に照明が適度に明るく、視界も開けていて、健全な感じがした。スロットだかメダルゲームだかを一人で楽しんでいるらしい、ある程度歳のいった人がちらほらいた。そういうのもあるんだなあ、と思う。

プリンちゃんがいた。

UFOキャッチャーに。ポケモンの。心が惹かれた。ポケモン自体は今別にさほど好きというわけでもないのだけれど、スマッシュブラザーズでずっと使っているので、思い入れがあるし、改めて邂逅しても親しみを感じた。(プリンちゃんという呼称も、上手いスマッシュブラザーズの人が言っていたからそう自分の中で言っている。)一人だからとか、どうせいらなくなるとか思ったけれど、まともにやったことがなく、そのままの状態を続けるのは好ましくないと思ったし、心が躍ったので、百円を消費した。そこまで位置は悪くなかったと思うけれど、出口の柵のところにアームが引っかかって下がりきらず、とれなかった。かくして状態は遷移したため、それ以上やろうとは思わなかった。一階へ降り、ドーナツを食べながらコーヒーを飲みながら、椅子に座った。

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電車に乗る。ある確信のような決心のようなものが芽生えた。そのうち消えてしまいそうだけれど、だからこそ、あまりすぐ人に言いたくはない。いつものように消えるのは好ましくない。よって、語らない。

2019.11.21

帰り、帰り道から少しだけ離れたところにあるドラッグストアに久々に行こうと思って行ったが、社員研修があるとかで既に営業を終了していた。別のドラッグストアに行った。スリッパ2個と、マスクとはとりあえず買おうと思っていたもので、その他には、インスタントコーヒーと小分けになったドリップコーヒー、カップ麺、パスタソース、チョコの菓子、ホワイトベルグ、抹茶チューハイなどを買った。300円のものを10個買ったら3000円になる、という感覚があまりないまま、必要なもののうちで目に付いた楽しいものなどをカゴに勢い良く入れて、日頃のこういう買い物ではあまりない値段の会計になった。前半の記述はどうでもいいし書きたくもないのだけれど、差分に抗うことはできない。

2019.11.20

活気がみたすには大きく閑散としすぎていて、無限の希望や未来を見出すには小さく閉鎖的すぎる盆地。電車から眺める風景の心象はそんなところだった。

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ずっと同じようなつまらない悩みで苦しんでいる気がする。それでも、その繰り返しにもどこかに差分があるはずで、それは一歩引いて眺めることで明らかになりうると思う。

今日は帰りに寄り道をして、途中まではよかったけれど、予期せぬコミュニケーションに晒されて、それに対する自分の対応に嫌気がさしたのだった。そんなところ。

そんなところだということが記録したいだけなのだ。別にそれについて悩んでいるとか、何かを言いたいということはなく、むしろ何も言いたくないことのほうが多い。文章を書いていると何か言わなければいけない気持ちになるけれど、ふわりとした心象が残ればそれでよく、それのみが達成されることが自分にとっては一番望ましい。

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最近はつらいことが多いので、つらくならない方法も考える。感情の重み付けを修正するのがいいと思う。つまりはそれは、フィルタをかませるということが前提になる。つらいことに直接心を晒すから、されるがままになってしまう。入力があってすぐに心を反応させる癖を取り払えば、中間層を設けることが可能になる。そしてそこで、つらい(と思われる)事象の心象が小さくなるようにする。

かんたんなことだ、と言ってみたけれど、別にそんなこともない。色々設けてもすぐに忘れて機能しなくなるのが常だ。

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2019.11.18

日記という体裁をとっていれば、ただの呻きではなく、記録としての価値を持ちうる。差分は後から評価すればよい。

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昨日を引きずって、まあよくなる見込みの薄い日だったわりには、今現在しんどくないので、良い日だったろうと思う。

できるだけ受け流すのが大切だ。熱くなってはいけない。帰ってきて急に働くことになっても、今から閉めるかばんのファスナーが開いていると言われても、海なし県だから海のにおいを知らないと言われても。

感性が狂っていて心が狭かったとしても、いちいちその通りに持っていかれる必要はないということだと思う。

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バスソルト(少し高価)を買って今日はそれを入れた風呂に早めに入ったからか、身体が適度な温を持っている。そういう営みをきっかけとして、生活も少しだけ整った。

自分としては自明なことなのだけれど、冬は本当に気を病む。だからそれを回避するというのは最重要事項であり、塩も買う。よかったですね。

2019.11.17

端的に言って非常に不調です。以下、そのような文章であり、そのような文章を求めている人以外にとって読む価値はない。求めていると思っている人も本当はそうではない、とこれは後から加筆しているのでそれなりに信憑性のある情報かもしれない。

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不調という言葉を使うには、平時からそのようである、というか今をもってその悪さを更新し続けていて、戻る兆しがないので、ふさわしくありませんが。

人の人生にちょびっとずついらないものを撒いていくことしかできない。あらゆる集団で、少しだけ迷惑な存在。いや、あらゆる場所においてそうです。街へ出るべきじゃなかった。必要でないのに人と関わるべきじゃなかった。

結局性質のすべてが不適に向かっていて、病気やなんやで説明するのもだめで、やはり世界に、人間に、存在に不適切です。違う、そういうことが言いたいんじゃありません。心の中でも石を投げられるのが嫌だというのに、なぜ書こうと思うのか。

その一点においてのみ、自分が世界に賛同できると思う。あらゆるものは単に、ドキュメンタリーでしかなく、書かないことよりは書くことによってのみあらゆるものごとが成仏する。こういう人間がいい加減なものを出して、人を傷つける。石。

どこにもありません。ただただ怠惰な人間です。それが例えば、今わかりやすい例でいうなら、文筆によって昇華されるようなこともありません。こういう人々は非常に見苦しい。石を投げてしまいました。

自分と関わろうとするものに片端から石を投げてしまうかもしれない。

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すべてわかった状態で、正しい意識、認識のうちに中学だか高校だかの教室に座っている夢を見てしまった。何もわからないまま長い生活を終えようとしているのに。

そんなものはどうでもいい。とらわれるべきじゃないとはっきりわかる。

現状を変えるため、過去を変えようと意識が頑張っているんだろうか。逆にわかりやすい救いが、その一点ぐらいにしかない。

けれども本当はそういう話ではなく、最初から自分は間違っていて、それが今までずっと続いているだけで、これからも続いていく。身体の生活の精神の歪みを取り除けなくなって終わっていく。

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認識を共有できても、結局放棄する。気に入らないとか、自分がそぐわないとかくだらない理由で。そぐわないについては異存はないだろう。

2019.11.14

最近は寒くなってきたせいか全然すっきりと起きることができず、6時間のつもりの睡眠が8時間程度に延長されるのをはじめとして、どんな初期条件でも2時間程度延長されることが多い。困る。

ものを探したりなくしたり、希望を語ったりその言い訳を語ったりとそれなりに忙しい。教え子に声をかける。あることで何かが生まれる声ならばいいけれど、所詮は愚鈍の所業であり、何か一つ間違えて、納得は程遠い。

すばやく目を別の場所に動かすこと。もしくはちゃんと首を伸ばして胸を張り、すべてが見据えられるような、少なくともそのような気になれるような姿勢でいること。連続性は動きでもあるし、動かないことでもあるが、それを捕捉しうる前提が必要になる。