raingoesup

「」

5・08

起きてそれなりに状態を整えていたら時間がなくなって激走して京都へ向かい髪を切ってもらう。自分の嗜好がどんなだったかはもうよくわからないが、そういった点を抜きにすれば今回のはそれなりにまとまっていて悪くないかなと思う。街に放り出されて徘徊する。それなりに様変わりしているけれど、相変わらず自分がつけいる隙はあまりないようだった。放浪してかなり経って、昼食にありつくことはできた。鴨川は水がきれいだった。最近琵琶湖周辺の最近特に汚い水を見慣れていたからそれがひときわ目立った。濁らないものなんだな。何らかの操作によるものなのか。

色んな場所に行くけど何もできない。普通はどうなんだろうか。わけがわからなくなる。街の人のスタートラインに立ってすらいないのに、色々と傲慢なことを考えていたのかしら、それは今もなのかしら、などという念が出る。よくわからない。普通のことの積み重ねが、すてきな人の形を形作っている。雑貨屋の子供連れなどを見てそんなことを思った。山科でプリン4つを買って帰った。

・・・

などと言っている間にいよいよ勤務先及びプロジェクトが変わる。新しい生活に向かっていかなければいけない。色々とこのところ雑念が多くて仕事のモチベも維持しづらいところがあったが、前向きにいきたい。モチベとは何か?わからないが、仕事は仕事と割り切るとしても、前向きな気持ちで、自分にできる範囲で眼の前のことに集中していきたい。バランス。やっていきましょう。

変質

どうにも調子が上がらない。当然という感じもする。まあ、少しだけ解決したこともあるから、この状態の上でまた社会に出ていくことにより、やっともう少し良くなっていく流れが作れるのかもしれない。流れとかいうのは最近野球をよく見ていたからそんな風なことを唱えるのだと思うけど、いやはや怪しい概念が体の中に入り込んだもんだ。元からだったか?わからない。今は久々にオートを試しているところだけれども、それを表出させようというところにうまくいっていないのが垣間見える。

過去と同じことを追おうとするけれど、軒並み上手くいくことは無い。例えばお酒を飲んで気持ちよくなった状態で片付けをするとか。そもそも何かを摂取しながら気持ちよくなった状態で過ごすこと自体が何だかそんな感じ。すぐになくなってしまうので、摂取量だけが増えていく。行為自体ではなくて、それが新しい刺激としてあったから、良い作用を及ぼしただけのことなのかもしれない。

今日は考課と部屋の片づけをしたいところだったが何も能率が上がらなくて、夕方頃にはお酒を飲んでだらだらしていたら眠くなって寝てしまって、それで起きたら頭が痛くて部屋はグチャグチャ何も終わっていないという、おおよそ充実とは程遠そうな景観になっていた。それでもまあ気にしようとは思わない。散歩行って精神が良くなるかしら、というのをやって、それなりの効果はあったような気がしていて、でもやはり状態はよくないような。

まあさっき流れということも言った通り、最悪にならないために最低限のことだけはやっておきたい。

2020/04/30

あらかじめ決められていたようなクソイベントを消化する3連休2日目。決められていたのなら、その分だけ気持ちはいくらかましになる。

気持ちをましにするもう少し大きな要素は他にある。期待値を限りなく殺すこと。そのコントロールの仕方が、急におもむろに緩い態度をとってきたりもするので、その落差に寄って難しくなるのだけれど、まあ今のところ最悪な状態という感じではないので、比較的ましに乗り切れたほうだろう。その中で一定の行動の方向性というのは多少見いだせたような気もするが、それですら毎回適用できるかどうかはわからないので、あくまで取る行動の一つとして方策に加えておくだけにする。反射でなくてよい。

明日は何をするか。部屋の荒れようから、まともな生活から遠いところにいるのを感じるが、少しでも整えられるといいな。何もわからなくなるが。

昨日は面倒事がひと段落したようなので良かったが、新たな面倒に巻き込まれないとしてしまったことが結果的に不本意な入眠、起床につながり、起きてからも何もない時間を過ごしてしまった。状態はよくないのかしら。

どうでもいい、どうにかできるもの以外どうにもならないとは思っているが、それでも不安が渦巻いている。もっと色々をやっていく必要があり、できないならできないなりに状態を良くすることが必要なのだけれど、いずれも進んでいないと露骨に感じる。まあ、毎週のように訪れて、それでどうにか乗り切っているので、これも必要なことなのかしら。

そんな、今考えていることすらそんな鈍い色をしていて。書くような思想がないならないで、もっと独りよがりだけれども広がりのある妄想が自分の中にあってもいいかと思う。ないならないで、とはなんなのかよくわからないが。適当な形に精神構造や実体に合わせた行動や心の持っていきようがある、ということ。最悪にならないようにやっていく。

昨晩まで38℃くらいの熱があったが、今朝は平熱に戻っていた。あまりにも短い計測時間に若干戸惑いを残しながら、頭痛薬を飲むなどして会社に向かう。服薬が出社そのものだとしたらそこそこサイケデリックでよいと思うがそうではない。若干そういう音楽を聴いていたから、夢も少しそのテイストがあった。

色々とややこしい家のあれがあるけれど、ひたすら、考えても無駄、反論するのもキレるのも心の中でも現実でもただ意味のないことなんだとなり、そのようにしている。その実践をみても、それは心を圧縮することではないと感じている。他のことに比べて難しいことではないはずでもある。ならばこのままリソースは割かない形で継続したい。

しんどい中でやる仕事は一方難しいが、こちらも無理なことは無理なんだという思想が滲み出して影響してきている気もする。まあそうでしかないはず。それをコミュニケーションにも反映し伝えることはできているから、大きな問題はないと思っておく。

そんなことを記録しつつ、一旦睡眠を優先する。最悪なことにならないようにしたい。

とりいそ木

とり急ぐこともなんもないのだが。/日曜は体調が悪くなって、おかゆを吸って吐くなどの運動をしていた。吐き気止めとウィダーとシャワーのおかげでどうにか持ち直して、月火と勤務をすることができた。いくつかのややこしいことは片付いており、そこそこ新鮮な作業を淡々とやって終わりという感じなので、過度にしんどい様相はなく、助かっている。/社外に出るやなんやという話が進んでいて、それについて朝会の場で自分から自分のターンに言うのではなく、PLが補足的に言うのに任せる形となったり、それについて各人のコメントを頂戴した際も、何を言ったらいいのかよくわからず曖昧に頭を下げるだけとなり、あまりしまっていなかったと思う。なんか言えよ。言いたいこと言えば最近は自分の中ではあるあるということになっているが、こんなときどんなあるあるを口にしたらよかったんだろう。コミュニケーションが少し足らずに人生を切り開くことがままならないことを自分で感じるのみで、言ってもないし言うようなことでもない。まあ全体的な雰囲気は悪くない気がするから、生きていることにしておく。/そんなところです。最悪にならないように気をつけていく。それなりに。大事な時期でもあるのかもしれないし、ただ頭が狂っていて無理だったという、高校2~3年の頃のようなことにはしたくない。がんばっていく。

気持ちが昂っている、わけではそんなにないはずなのだが、音楽が脳内で鳴り続けて身体はツイストをしている。

 

ふいに、少し前にラジオで聞いた「年間ベスト100を作れるようにインプットを増やす」という話を思い出しやりたくなる。3月はなんとなく繰り返し聴いた曲も多かったし、アニメも見ていたし、動画もカラオケも。(インプットだったら体験でもなんでもいい、という趣旨のものだった。)毎月10選をやれば普通にできるはず。3月からでも間に合う。

 

今日は寝ないとなのですんでのところでとどまり寝ます。これはバービーボーイズの目を閉じておいでよを音源やライブ映像やモノマネやあるあるや自分自身による再生でわけもわからないほど異常に繰り返しているなと思い、思い出したことです。